
いつも「音楽大好き親父の徒然ブログ」を見ていただき、ありがとうございます。
67歳。この歳になると、人生で大事なことは、そう多くないなと感じます。
若い頃は、いろんなモノを手放せば身軽になれると思っていました。
クローゼットの服も、本棚の本も、ずいぶん減らしました。
でも…不思議なものでね。
部屋が片付いても、心が晴れるわけじゃなかった。
むしろ、がらんとした部屋で、ぽっかりと空いた時間が、やけに重たく感じられたりして。
定年退職から7年が経ち、幾つか気づいたことがあります。
それが、私を縛っていたのは、目に見える“モノ”じゃなかった…てことなんです。
長年かけて染み付いた、自分の**“考え方のクセ”**みたいなものだったんですね。
今日は、そんな私が試してきた、心を少し軽くするための、ささやかな3つの実践についてお話しします。
大した話じゃありません。ごく普通の男の、ひとり言だと思って聞いてください。
◆第1章:『人と比べない』練習
気づき①:心の重荷は、だいたい“他人”が基準になっている。
「退職してしばらく経った頃、会社の同期会に顔を出したことがありました。久しぶりに会う顔ぶれは、役員で会社に残ってたり、再雇用で充実していたり…。
まあ、みんな立派なもんです。
酒が入って盛り上がる話の内容も、財テクだの、海外旅行だの、私には少し眩しい話ばかり。
その中で、特に何もしていない自分は、なんだか場違いな気がしてね。
ひきつった笑いで相槌を打ちながら、早くこの時間が終わらないかな、と。そればかり考えていました。
帰り道、一人になった電車の中で、なんだか無性に腹が立ってきて。
同期にじゃないですよ。情けない自分自身に、です。
『俺には、人に誇れるものが何もないじゃないか』って。
その夜、なかなか寝付けず、ぼんやり考えていたんです。
なんで、こんなに惨めな気持ちになるんだろう、と。
そこで、ふと気づいた。
私はずっと、“他人”という物差しで、自分の価値を測ろうとしていたんですね。
若い頃から、ずっとそうだった。誰かに勝った、負けた、と。
でも、もういいんじゃないか。
この歳になってまで、他人と自分を比べるレースを続けるのは、馬鹿らしい。
そう思えたんです。
その日から、ちょっとした練習を始めました。
人と比べてしまいそうになったら、『おっと、クセが出てるな』と心の中で呟いてみる。
ただ、それだけです。
誰かに見せるための自分じゃなく、今の自分が心地よくいられるようになるための練習です。
不思議なものでね。
人と比べるのをやめたら、他人の成功を素直に『すごいな』と受け入れられるようになった。
そして何より、“何者でもない自分”でいることが、ずいぶん楽になったんです。
◆第2章:『断る』練習
気づき②:断るのは、相手のためでもある。
人付き合いって、本当に難しいもんですよね。
特に私は、昔から人見知りが強くて初対面の人と話すのが、今でも苦手なんです。
それなのに、矛盾してるんですが、人に嫌われるのが怖くて、断ることも不得手。
退職してからも、その性格は簡単には変わりませんでした。
気乗りしない町内会の集まりや、昔の会社絡みの飲みの誘い…。
『付き合いだから』と自分に言い聞かせて、無理やり顔を出しては、壁の花になっている。
そして、家に帰ると決まって、どっと疲れているんです。
貴重な時間を、ただただすり減らしているような、虚しい感覚でした。
そんなある晩、また愚痴をこぼしていたんでしょうね。
家族に、言われたんです。
『そんなに嫌なら、行かなきゃいいじゃない。愚痴を聞かされるこっちの身にもなってよ』って。
耳の痛い一言でしたが、その通りでした。
実に居たいところを突かれた感じでした。
楽しくもないのに無理やり参加して、帰ってきては家族に不満をぶつける。
これじゃ現役時代と変わらないじゃないか!。
これは誰にとっても、良いことじゃない。
それに、楽しくもないのに楽しそうなフリをするのは、誘ってくれた相手に対しても、正直じゃないな、と。そう思えたんです。
そこから、これも練習です。
『ごめん、今回はやめとくよ』と、短く、正直に断る練習。
最初は、ものすごく勇気がいりましたよ。
『きっと、相手は嫌な思いをするだろうな』『怒ってるかもしれないな』と、勝手に相手の気持ちを想像しては、躊躇する。
でも、いざ勇気を出して断ってみると、大抵の反応はこうでした。
『そうか、分かった!また今度な!』
…あっけないほど、普通でした。
最近はSNSでのやりとりですから、直接電話することもなくなり随分ハードルは下がりましたね。
結局、私が勝手に、『断ったら嫌われる』という物語を、頭の中で作り上げていただけだったんですね。
もちろん、中にはガッカリする人もいるでしょう。
でも、自分に置き換えてみれば分かります。誘いを断られたからといって、いつまでも根に持つことなんて、ありませんよね。
案外、すぐに忘れてしまうものです。
もちろん、全部断るわけじゃありません。
でも、『行く』か『行かない』かの決定権を、ちゃんと自分で持つ。
他人の目じゃなく、自分の心に正直になる。
たったそれだけのことで、人間関係のストレスが、嘘みたいになくなりました。
そして、空いた時間と心の余裕で、本当に会いたい人と過ごす時間が、前よりずっと豊かになった気がします。
◆第3章:『今日やってみる』練習
気づき③:自分から動かないと、物事は変わらない。
そんな風に、ほんの少しずつ、自分から動いてみる。
すると、不思議なもので、新しい出会いが向こうからやってくることもあるんです。
絵を描くことも、昔から好きでした。
でも、油絵なんて大それたことはできないし、水彩画もなんだか難しそうで…。
ずっと、手を出せずにいたんです。
そんなある日、ふらっと立ち寄った本屋で、一冊の本が目に留まりました。
色鉛筆で描く『大人絵日記』という本でした。
『これだ!』
思わず、心の中で小さくガッツポーズをしましたね。
これなら、すぐにでも始められるぞ。
その日のうちに、ノートと色鉛筆を買ってきて、描き始めました。

いやあ、これが、楽しいんです!
上手いとか下手とか、そういうことじゃない。
ただ、目の前にあるものや、自分で撮った写真の風景なんかを、夢中で描いてみる。
散歩で見つけた花を、思い出して描いてみる。
その時間が、たまらなく愛おしい。
別に、個展を開きたいわけじゃないですからね。気楽なもんです。
でもある日、遊びに来た孫に、その絵日記を見せてみたんです。
そしたら、目をまん丸にして、こう言いました。
『じいじ、めっちゃ上手!』って。
もうね、その一言で、全部報われました。
やってよかったなあって、心から思いましたよ。
今では、たまに遊びに来る孫と一緒に並んでお絵かきするのが、私の新しい楽しみになっています(笑)。
そんな、本当にささやかなことなんです。
でも、そんな小さな一歩が、人を少しだけ変えてくれる。
止まっていた歯車が、ギシギシと音を立てて、また動き出すような、そんな感覚。
やってみると、分かるんです。
始めるのに、立派な理由も、才能も、若さもいらない。
必要なのは、『まあ、やってみるか』という、ほんの少しの好奇心だけ。
この“やってみる練習”のおかげで、モノクロだった毎日が、また少しだけ、色づき始めたように感じています。」
◆最後に
私がこの7年で気づいたことは、結局、とてもシンプルなことでした。
人生を軽くするのに、何か特別なことを成し遂げる必要はなかったんです。
・誰かと比べて落ち込みそうになったら『おっと、いけない』と心の中で呟いてみる。
・気の乗らない誘いには、『ごめん』と、正直に断る勇気を少しだけ出してみる。
・『いつか』と思っていたことを、『今日、10分だけ』かじってみる。
私がやってきたのは、本当に、それだけです。
頑張って自分を変えようとするんじゃない。
無理にポジティブになろうとするんでもない。
ただ、長年染み付いてきた自分の“考え方のクセ”に気づいて、ほんの少しだけ、軌道修正してあげる。
まるで、調子の悪いラジオのチューニングを、ゆっくり合わせ直すような感覚でしょうか。
ノイズだらけだった毎日から、少しずつ、心地よい音が聞こえ始める。
昔の自分には戻れないし、体力だって落ちていく一方です。
でも、この歳になったからこそ、見える景色がある。
味わえる喜びがある。
孫の『じいじ、上手!』という一言が、どんな肩書きよりも嬉しかったり。
拙いギターの音色が、どんな立派な音楽よりも心に響いたり。
そんな、ささやかな幸せを、一つひとつ、丁寧に拾い集めていく。
人生の後半戦というのも、案外、捨てたもんじゃないなと。
そう思える今日が、ありがたいです。