

いつも「音楽大好き親父の徒然ブログ」を見ていただき、ありがとうございます。
今日はちょっと、ギターにも触れる気になれないくらい、胸にぽっかり穴があいた一日でした。
ネットを見ていたら。「音楽評論家・渋谷陽一さん、逝去——」のニュースが。。。
昨年末に脳出血で倒れ闘病生活だったそうです。
そして2025年7月14日に誤嚥性肺炎で逝去されたそうです。
本当に驚きました。まだ74歳。若すぎますね。
- あの頃、ロックは「衝撃」だった。
- そんなZEPに、憧れを抱かせてくれたのが、渋谷陽一さん
- ロックを評論するだけじゃない。「場」を作った男
- 渋谷陽一さんへ、音楽好き親父からの感謝状
- ありがとう、そして、またいつか
あの頃、ロックは「衝撃」だった。
高校に入ったばかりのころ、ビートルズと出会って、頭をかち割られるような衝撃を受けました。
気づけば、友人とすぐにバンドを結成。(もちろん当時の呼び名は「グループ・サウンズ」ではなく、あくまで“バンド”です・笑)
その後、立て続けに出会ったのが、Deep PurpleとLed Zeppelin。
どちらもとにかくカッコよかった。でも、コピーしたのはほとんどがパープルでした。
「Highway Star」「Smoke on the Water」――
文化祭に向けて、もう必死に練習してましたよ。今でもイントロが流れると、当時のスタジオのにおいや、緊張感まで思い出せます。
ZEPの曲ももちろん好きでした。
でもね……コピーするには敷居が高かったんです。
リフは抜群にカッコいいのに、ギターソロが全然聞き取れない。
ボーカルはあまりに強烈で、誰が歌っても「ロバート・プラントごっこ」になるだけ。
ドラムも、あのジョン・ボーナムの野獣のようなグルーヴにはとてもじゃないが太刀打ちできなかった。
曲は超かっこいいのに、どこか「触れてはいけない聖域」のように感じていました。
一方で、パープルはクラシカルな要素があって、どこか聴き取りやすく、ZEPに比べるとコピーしやすかった。
それが当時の自分には「ちょうどいい難易度」で、自然とパープルばかりコピーしていたのを覚えています。※今思えば、全くリッチーの1%も再現・コピーできてませんでしたけど。。。当時は完コピしたつもりになってました。笑止千万です(笑)。
そんなZEPに、憧れを抱かせてくれたのが、渋谷陽一さん
ZEPにはなかなか近づけなかった自分にとって、渋谷陽一さんのZEP愛は、いわば“解説者”であり“翻訳者”であり、“ロックの伝道者”でした。
雑誌「ロッキング・オン」の文章も、ラジオ「サウンドストリート」で語るZEPの魅力も、渋谷さんの口から伝わってくると、難解に思えていたZEPの音楽が、ぐっと近くに感じられたんです。
「天国への階段」がただの名曲じゃなく、「音の物語」だということ。
「カシミール」が異国の風景を描いたサウンドトリップであること。
彼の言葉に触れるたび、ZEPの世界が立体的に、しかもとてつもなく奥深いものだと気づかされました。
今でも、「あなたにとって最高のバンドは?」と聞かれたら、やっぱりLed Zeppelinと答えます。
たとえコピーは難しかったとしても、心の中ではずっと、ZEPの音が鳴り続けていた。
それはきっと、渋谷陽一さんがZEPという「憧れの炎」に息を吹きかけ続けてくれたからだと思います。
ロックを評論するだけじゃない。「場」を作った男
渋谷さんのすごいところは、「評論家」の枠にとどまらず、日本のロック文化そのものを耕した人だったこと。
雑誌の創刊に始まり、ラジオ番組、テレビ番組、そしてあの巨大な音楽フェス――
「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」や「COUNTDOWN JAPAN」など、若者がロックに出会う“場所”を数多く創ってくれました。
音楽に年齢は関係ない。
渋谷さんの作ったあの空間は、まさに“ロックの楽園”だったと思います。
渋谷陽一さんへ、音楽好き親父からの感謝状
年齢を重ね、白髪が増え、ギターのフレーズも指がもつれるようになってきたけど(笑)、それでも今、音楽を人生の一部として持ち続けていられることに、心から感謝しています。
その原点をたどっていくと、いつも渋谷陽一さんの存在がある。
彼の書いた言葉、語った声、紹介してくれた音楽がなければ、
きっと今の自分は、ここまで音楽と付き合い続けられなかったと思います。
ありがとう、そして、またいつか
渋谷陽一さん、心からありがとうございました。
どうぞ天国でも、大好きなレコードを片手に、語り尽くしてください。
そして、またいつか向こうで会えたら、ZEP談義の続きをさせてくださいね。