
夜、静まり返った部屋でスマートフォンのメモ帳を見返していました。
ふと時計を見ると20時を回ったところ。外はもう真っ暗です。
若い頃、20時といえばまだ仕事の真っ最中だったり、誰かと賑やかに飲んでいたりした時間でした。
でも、70歳を目前にした今の私にとって、この時間は一日の終わりを静かに慈しむ、とても大切なひとときです。
最近、私の心の中で大きな変化が起きました。
それは、「時間がお金よりも、圧倒的に大切だ」という確信です。
なぜ「時間」が「お金」を追い越したのか
もちろん、若い頃から「タイム・イズ・マネー」なんて言葉は知っていました。でも、当時はその本当の意味を分かっていなかったのだと思います。
歳をとるにつれて、時間と価値の優先順位が相対的に変わってきました。
なぜか。
それは、残された時間の「短さ」を肌で感じるようになったからです。
時間の有限さを意識する瞬間は、突然やってきます。
ふとした病気で体が自由利かなくなった時。
長年連れ添った友人や、大切な家族との永遠の別れを経験した時。
あるいは、家族や友達と些細なことで喧嘩をし、気まずい思いをした時。
「今日と同じ明日は、もう二度と来ない」
若い頃には、こんなこと考えもしませんでした。
明日は無限に続く、当たり前の資産だと思っていた。
でも今は違います。
今日という日は、二度と手に入らない貴重な宝石のようなものです。
「足るを知る」——銀行残高とにらめっこする現実
こんなことを書くと、「お金に余裕があるからそんなことが言えるんだ」と思われるかもしれません。
でも、現実は全く違います。
私は決して裕福な家庭に育ったわけではありませんし、今だって毎月の銀行残高と、次々にやってくる引き落としの通知を突き合わせては、「うーん」と唸っているような生活です。
「もっとお金があれば、どれだけ楽だろうな」
そう思う夜は、今でもあります。正直なところ。
でも、同時にこうも思うのです。
「70歳を目前にして、ここから必死に大稼ぎするのは、もう無理があるな」と。
人生の期限が見えてくる世代になった時、私たちは一つの「諦め」に近い「悟り」を迫られます。
そこで私が出会ったのが、「足るを知る」という言葉でした。
これは、現状に満足して努力をやめるということではありません。
「できないことを嘆くよりも、今できていることに感謝する」
その方が、ずっと心が晴れやかになるという、実利的な知恵なのです。
「嫌なこと」に割く時間は、もう一秒も残っていない
私が決めた鉄則があります。
それは、「嫌なこと」や「嫌な人」に時間は一秒たりとも割かない、ということです。
もし、今の仕事が好きで、体力が続くならやるべきでしょう。
でも、もしそうでないなら、違う選択肢を必死に考えるべきです。
私たちはもう、自分を削ってまで誰かの期待に応える段階を過ぎました。
人間関係についても同じです。
正直に言って、一人きりで生きるのは寂しいものです。
誰とも繋がっていない感覚は、精神を蝕みます。
けれど、リアルな人付き合い……義理の欠礼を気にしたり、顔色を伺ったりする付き合いは、あまりにも面倒で、エネルギーを使い果たしてしまいます。
だからこそ、「断捨離」が必要なのです。
自分にとって本当に大切な人だけを残し、それ以外はそっと手放す。
孤独を楽しむ力と、最小限の、でも温かい繋がり。
そのバランスを整えることが、最後の人生の設計図には不可欠なのだと気づきました。
「お前、変わったな」と言われたら、それは進化の証
先日、久しぶりに会った古い友人から言われました。
「お前、なんだか変わったな」
自分では気づきませんでしたが、周囲から見ると、物事の捉え方や考え方が大きく変わっていたようです。
以前の私は、もっと何かに焦り、もっと何かに固執していたのかもしれません。
でも今の私は、自分の持てる範囲で、いかに「最後の満足」をデザインするかに夢中になっています。
「お金がないこと」を情けないと思う必要はありません。
それよりも、「自分自身の時間を、自分自身の意志で使えていないこと」の方が、よっぽど情けないことだ。
そう思えるようになった時、心は驚くほど軽くなりました。
あなたにとっての「時間」とは?
群衆の中で孤独を感じた時。一人を楽しめない時。
あなたはどんな時に、人生の有限さを感じますか?
もし、あなたが今、何かに追われて苦しいのなら、一度立ち止まって「足るを知る」という言葉を唱えてみてください。
幸せは、遠くにある「いつか」ではなく、今この瞬間の「満足」の中にしか存在しません。
自分の人生を、自分らしく設計し直すのに、遅すぎることはありません。今日という、この二度とない日を、あなたは誰のために、何のために使いますか?