音楽大好き親父の徒然ブログ

Eギターと出会って50年、音楽とバンド大好き親父の徒然ブログです。

定年後、音楽を始めるなら「一人」と「仲間」どっち?ポイントは「面倒くささ」

■久々に音楽談義です

結論から言います。

私は、完全にバンド派です。

一人でギターを弾くより、誰かと音を合わせているほうが楽しい。

 

ただ、私の周りには、ソロをメインにしている音楽仲間も結構います。

それに、ソロとバンドを上手に使い分けている人もいる。

 

だから、68歳まで音楽をやってきて思うんです。

「ソロとバンド、どっちがいい?」じゃない。

たぶん、

「自分は、どっちの面倒くささなら我慢できるか」

なんですよ。

今日は、その話をしてみます。

 

■ソロは、とにかく気楽

ソロの一番いいところは、何と言っても自由です。

「今日は弾きたい」と思ったら弾く。

「今日は面倒だ」と思ったら、やめる。

 

誰にも迷惑をかけません。

選曲も自由。練習時間も自由。

途中でビールを飲んだって誰にも怒られない(笑)。

 

定年後ですからね。

これ、かなり贅沢です。

しかも、ギター一本あればいい。

「ちょっと弾こうかな」で始められる。

これはソロの強さです。

 

■でも、自由すぎると……

逆に言えば、誰も待っていない。

これがソロの弱点でもあります。

 

今日は疲れた。明日やろう。

明日になったら、まあ、明日でいいか。

……これを繰り返していると、ギターが部屋のインテリアになります(笑)。

 

もちろん、ちゃんと自分で練習できる人なら問題ありません。

むしろ、「人に合わせるのが嫌い」

という人には、ソロは最高でしょう。

 

 

■バンドは、面倒です

じゃあバンド。

私はこっちです。ただし、最初に言っておきます。

 

バンドは面倒です(笑)。

 

自分一人なら、「今日は午後からやろう」で終わる。

バンドだと、「みんな、いつ空いてる?」から始まる。

 

曲も簡単には決まらない。

練習も必要。自分だけ間違えれば、当然バレる。

 

しかも、メンバー全員が同じ温度とは限らない。

「もっと練習したい人」と、「まあ、楽しくやれればいいじゃん」

が一緒だったりする。

 

面倒ですよ。

複数の人間が集まるんですから、必ず不協和音は出てきます。

でも……私は、その面倒もバンドやる醍醐味?だと思うようにしてます。

 

■音が「合った瞬間」がある

バンドをやっていて、一番気持ちいいのは、

みんなの音が、「ピタッ」と合う瞬間。

ギターが鳴る。ベースが入る。

ドラムがドンと来る。ボーカルが乗る。

 

その瞬間、

「あ、今のいい!」ってなる。

こればっかりは、一人では味わえません。

 

上手いとか下手とかじゃない。

人と一緒に音を出す楽しさなんですよね。

私は、そこにハマっているんだと思います。

 

■そして、音楽以外のものも付いてくる

もう一つ、バンドをやっていて感じるのが、

人とのつながりです。

 

定年すると、会社の人間関係は一気に減ります。

別に、それ自体は悪いことじゃない。

私も、会社を辞めて、「人付き合いが減って、せいせいしたな」

と思ったところもあります(笑)。

 

でも、全部なくなると、それはそれでちょっと寂しい。

そこで、「次の練習どうする?」「この曲やろうよ」

なんて話せる仲間がいる。

 

これが結構いいんです。

音楽を口実に、人と会える。

私は、これもバンドの大きな魅力だと思っています。

 

■ただ、ソロとバンドは完全な二択じゃない

実際、私の周りには、

普段はソロ。たまにバンド・・・という人も結構います。

逆に、バンドをやりながら、家では一人で好きな曲を弾いている人もいる。

これは、すごくいいやり方だと思います。

 

ただ、いろんな人を見ていると、

やっぱり基本的な性格はある。

 

一人で自由にやるのが好きな人。

誰かと一緒にやるのが好きな人。

 

そのうえで、たまに反対側を楽しむ。

そんな感じなんですよね。

だから、

「ソロ派か、バンド派か」と無理に決める必要はない。

でも、

自分がどっちに心が動く人間なのか

これは知っておいたほうがいいと思います。

 

■私の場合は……

私の場合は、もう明快です。

一人より、面倒なほうがいい(笑)。

 

予定を合わせる。練習する。

時には意見がぶつかる。それでも、みんなで音を出す。

そして終わったら、「今日、良かったな」

と言って帰る。

 

私は、こっちが好きなんです。

だから、68歳になってもバンドをやっています。

 

■まとめ

もし定年後に音楽を始めるなら、

無理に「仲間を作らなきゃ」と思わなくていい。

一人で好きな曲を弾く。

それだって立派な音楽です。

逆に、

「一人じゃ続かないんだよな」

という人は、誰かと一緒にやってみればいい。

案外、そのほうが続きます。

 

そして、両方やってみるのもいい。

定年後の趣味なんですから、

正解なんてありません。

 

ただ一つ言えるのは、

自分が「またやりたい」と思えること。

これが一番大事です。

 

私はたぶん、

これからも「面倒くさいほう」を選ぶと思います。

だって、その面倒くささの先に、

「今日も楽しかったな」があるから。

 

……まあ、次の練習日を決めるのは、

ちょっと面倒ですけどね(笑)。

60代になったら、やめたほうがいいお金の使い方5つ。老後の自由を守るために

60代になったら、やめたほうがいいお金の使い方

60歳で会社を辞めて、8年。

68歳になった今、つくづく思うことがあります。

 

老後のお金は、「いくら増やすか」より「何に使わないか」のほうが大事だった。

 

現役時代は、毎月給料が入ってきました。

多少の無駄遣いをしても、また来月になれば給料が入る。

だから私は、あまり深く考えずにお金を使っていました。

 

ところが、会社を辞めると、その感覚が変わります。

毎月入ってくるお金には限りがある。

一度出ていったお金は、簡単には戻ってこない。

 

そこで私は、60代になってから「これは、もういらないな」と思うお金の使い方を少しずつやめてきました。

 

今日はその中から、私が「やめてよかった」と思っている5つを紹介します。

節約の話ですが、我慢の話ではありません。

むしろ逆です。

余計なものにお金を使わなくなると、本当に使いたいものにお金を使えるようになる。

私の場合、そのひとつがギターでした。

 


1.現役時代の「見栄」を引きずる

最初にやめたのは、これです。

「人からどう見られるか」のためにお金を使うこと。

 

現役時代は、どうしても肩書や収入に合わせた生活になります。

・少し良い車に乗る。

・付き合いで飲みに行く。

・人前では、それなりの格好をする。

・広い家に住む。

もちろん、それが悪いわけではありません。

 

現役時代には、それなりの理由があった。

でも、仕事を辞めても同じことを続ける必要があるのか。

 

私は、そこを考えるようになりました。

会社を辞めたら、名刺も肩書もありません。

それなのに、昔の自分に合わせてお金だけ使い続ける。

なんだか変ですよね。

 

そこで私は、

「これって、本当に自分が欲しいものなのか?」

と考えるようになりました。

 

人に見せるためのものなら、少しずつ手放す。

自分が楽しむためのものなら、残す。

この基準に変えただけで、かなり気持ちがラクになりました。


2.「暇だから」という理由でお金を使う

これも、定年後には意外と大きいと思います。

仕事をしていると、毎日やることがあります。

 

ところが会社を辞めると、突然、時間が余る。

最初は嬉しいんですよ。

「これからは自由だ!」

 

ところが、その自由にも慣れてくる。

朝起きても予定がない。

昼になっても予定がない。

 

そこで、「ちょっと出かけるか」となる。

そして、

コンビニに寄る。喫茶店に入る。昼飯を食べる。帰りに何か買う。

一回一回は大した金額じゃありません。

 

でも、「暇だから使う」というお金は、際限がありません。

 

私の場合、ここで助けられたのがギターでした。

家にギターがある。

弾きたい曲がある。

練習していると、いつの間にか1時間、2時間経っている。

しかも、追加料金はほとんどかからない(笑)。

 

もちろん、ギターそのものや機材にはお金がかかります。

でも、一度買ってしまえば、何度でも楽しめる。

 

だから私は、60代の趣味には、

「お金を使う趣味」だけでなく「時間を使う趣味」も持っておく。

これが大事だと思っています。

 

暇を埋めるためにお金を使うのではなく、

時間を楽しむために趣味を持つ。

この違いは、意外と大きいです。


3.「よく分からないもの」に大きなお金を使う

60代になると、まとまったお金を持つ人も多いと思います。

退職金などですね。

 

すると、金融機関からいろいろな話が来る。

「こちらの商品がおすすめです」

「今のうちに運用しておきましょう」

もちろん、きちんと勉強して、自分で納得して投資するのならいいと思います。

 

私が言いたいのは、

「よく分からないけど、プロが勧めるから」

という理由だけで、大きなお金を動かさないこと。

 

これは投資に限りません。

保険でも、金融商品でも、よく分からないサービスでも同じです。

 

私は60代になってから、

「分からないものには、大金を使わない」

というルールをかなり意識するようになりました。

 

分からないものを無理に買わない。

・一晩寝て考える。

・必要なら調べる。

・それでも分からなければ、やめる。

これだけでも、かなり違います。

 

お金を増やすことより先に、

「変なところからお金を減らさない」

こと。

60代からは、これも立派なお金の守り方だと思っています。


4.子供のために、自分の老後まで削ってしまう

これは、難しい問題です。

親なら、子供が困っていたら助けたい。

私にも、その気持ちはあります。

結婚、住宅、孫のこと。

「少しくらい援助してやろうか」

そう思うのも親心です。

 

でも、ここで忘れてはいけないのが、

自分たちの老後もまだ長い・・・ということです。

60代になったからといって、人生が終わるわけではありません。

 

むしろ、ここから20年、30年あるかもしれない。

だから私は、

「子供を助ける前に、自分たちが最後まで自立できるか」

を考えることが大切だと思っています。

 

子供にお金を渡して、10年後に自分たちのお金が足りなくなったら、結局、子供に迷惑をかけるかもしれない。

 

それなら、

「親が自分の生活を最後まで自分で支えられる」

ことのほうが、子供にとっても安心なんじゃないでしょうか。

 

もちろん、家庭によって事情は違います。

援助するな、という話ではありません。

ただ、「親だから、出して当たり前」

という考え方からは、一度離れてみてもいい。

私はそう思います。


5.節約しすぎて、「今」をつまらなくする

最後は、ちょっと意外かもしれません。

 

実は私は、

「お金を使わないこと」そのものを目的にするのも危ない

と思っています。

 

老後が不安だから、何でも我慢する。

外食しない。旅行もしない。趣味にも使わない。

欲しいものも買わない。

 

もちろん無駄遣いは減らしたほうがいい。

でも、これをやりすぎると、

「何のためにお金を貯めているんだ?」

となってしまいます。

 

60代、70代になっても、

「老後のために、今は我慢」と言い続ける。

でも、その「老後」はもう始まっているんですよね。

 

だから私は、

削るお金と、残すお金を分ける

ようにしています。

 

どうでもいいものには使わない。

でも、自分が本当に楽しめるものには使う。

私なら、ギター。音楽。旅行。温泉。

そういうものには、多少お金を使ってもいいと思っています。

だって、それを楽しむために、今まで働いてきたわけですから。


まとめ――お金を減らすことより、「人生の無駄」を減らす

60代になって私がやめたほうがいいと思うお金の使い方は、この5つです。

 

1.現役時代の見栄を引きずる

2.暇だからという理由でお金を使う

3.よく分からないものに大きなお金を使う

4.子供のために、自分の老後まで削ってしまう

5.節約しすぎて、今の人生までつまらなくする

 

こうして見ると、単純な「節約術」ではありません。

 

共通しているのは、

「他人のために使うお金」と「自分の人生を楽しむためのお金」を区別すること

だと思います。

 

60歳で会社を辞めたとき、私は「これから大丈夫かな」と、かなり不安でした。

でも8年経った今は、少し考え方が変わりました。

お金は、たくさん持っていることだけが安心ではない。

「これは使わなくてもいい」と判断できることも、安心につながる。

 

そして、もうひとつ。

節約して浮いたお金を、全部貯金しなくてもいいと思うんです。

自分が好きなことに使っていい。

私の場合は、ギターだったり、音楽だったり、旅行だったりします。

 

そう考えると、

老後のお金を守るということは、人生を小さくすることではない。

むしろ、

どうでもいいものを減らして、本当に大切なものを残すこと。

私は68歳になって、そんなふうに考えるようになりました。

 

皆さんは、60代になってから、

「これはやめてよかった」

と思うお金の使い方はありますか?

もしあれば、ぜひコメントで教えてください。

私も参考にしたいと思います。

【定年後の新常識】『まあ、いいか』は諦めじゃない!心を劇的に軽くする“ポジティブ手放し術”

はじめに:「まあ、いいか!」で定年後を軽やかに生きる

実は、定年後の人生を劇的に面白く、そしてラクにしてくれる魔法の言葉があります。

それが『まあ、いいか!』です。

えっ?いい加減に聞こえますか?

 

でも、これって決して『諦め』や『投げやり』ではないんです。

『自分の機嫌は自分で取る』という、成熟した大人だけに許された最高の戦略です。

 

では、そのためにどうするか? 私はこの3つだと考えます。

 

①  他人への期待を手放す

②  完璧な計画を手放す

③  昔の自分を手放す

 

今日は、なぜ今こそ『まあ、いいか』が必要なのか、

そして具体的に何を手放していけば心が自由になるのかを、お話しします。

 

1. なぜ「まあ、いいか」が言えないのか?

長年、会社や組織にいた人ほど、『まあ、いいか』が不得手です。

『甘い奴だと思われる』『だらしない奴だと思われる』と考えがちです。

 

しかし、『こうあるべきという生き方』は人生を窮屈にします。

定年後のせっかくの自由な時間がストレスに変わってしまうからです。

 

2. 「ポジティブな手放し」3つの真実

 

他人への期待を手放す(人間関係の自由)

家族や友人、店員などに対して「なぜ理解できない?!」

「言葉遣いや態度がなってない!」とイライラした時が、「まあ、いいか」の出番。

「人は人、自分は自分」と割り切ることで、無駄なエネルギーを使わずに済むんじゃないでしょうか。

 

例えば、良かれと思って部屋の掃除や片付けをしたのに、

妻にはかえって散らかしたように見えて…

『また仕事増やして!。余計なことしないで』と言われてガックリ

なんてこと、ありませんか?(笑)

 

 感謝や評価を期待するからイラッとするんですよね。

『まあ、キレイになったし自分の運動になったからいいか!』

と切り替えると、余計な摩擦も生まれません。

 

完璧な計画を手放す(時間の自由)

今日やるはずだったことが出来なかった、予定通りに進まなかった。

真面目な人ほど、「自分はなんて意思が弱いんだろう・・・」って反省をし始める。

 

でも、“まあ、いいか人間”は、「そもそも完璧なんてありえない!」と考えます。

「まあ、今日じゃなくても地球は滅ばないよ!」と笑い飛ばす。

この余裕(いい加減さ?)こそが、本当の意味での「豊かな時間」を生むと信じているんです(笑)。

 

例えば、楽しみにしていた夫婦旅行で、

お目当ての名物そば屋に行ったら『本日臨時休業』の貼り紙

昔ならガッカリして機嫌を損ねていたかもしれません。

でも『まあいいか、通りすがりに見つけた地元のラーメン屋に入ってみよう』

と切り替える。

すると、それが案外忘れられない思い出になったりするんですよね。

 「ものは考えよう!」って案外当たってる。

 

昔の自分(過去の栄光・価値観)を手放す(精神の自由)

「昔はこうだった」「現役時代は」というこだわりを捨て、「今の自分」をそのまま受け入れる。

「失敗してもまあいいか」と思えるようになると、新しい趣味や挑戦へのハードルが劇的に下がります。

 

例えば、定年後に新しい趣味を始めたとき。『現役時代はこれくらい簡単にできたのに・・・』

『昔に比べて覚えが悪くなったな・・・』と楽しむはずが、落ち込んでしまう。

そう、また「誰か(過去の自分?)と比べてしまう」悪い癖が顔を出します。

 

 でも『まあいいか、プロになるわけじゃないし!』と昔のプライドを手放せると、

下手くそな自分すら愛おしくなって、一気に楽しくなってきます。

 

『今日が人生で一番若い日』って言いますよね。

実際は一番年取ってるはずですが・・・

何かを始めたりするのに遅すぎることはない!。

年齢を問わず「始めようと思った日が一番若い日」。

色々考えすぎずに、とりあえずやってみよう!って言うことだと思います。

 

 

【まとめ】

『まあ、いいか』と言えるのは、これまで人生を

懸命に生きてきたからこそ持てる、しなやかさだと思うんです

 

完璧を目指してカリカリ過ごす1日より、ちょっと適当でも笑顔で過ごす

1日のほうが、間違いなく心豊かです。

 

負け惜しみに聞こえますか?。やっぱりいい加減に聞こえますか?

でもこれが今の私の本音です。

 

今日から何かうまくいかないことがあったら、ぜひ声に出してみてください。

『まあ、いいか!』と。それだけで、明日からの風景が少し違って見えるはずです。

 

みなさんは最近、どんなことを『まあ、いいか』と手放せましたか?

【知らぬ間に…】定年後、あなたに起きている「10の変化」

「定年後、自分が『ちょっと痛いオヤジ』になってない自信、ありますか?

実は私、ある日気づいてしまったんです。

文句は増える。昔話も増える。
なのに本人だけは『丸くなった』と思っている(笑)。

今日は、そんな誰にもありがちな、

『知らぬ間に起きる10の変化』を一緒にチェックしてみましょう。

① 「穏やかになった」のではなく、「文句が増えただけ」だった

一つ目は、これです。

「穏やかな好々爺になった。」

そう思っていたのは、どうやら私だけでした。

 

・ニュースを見る。「最近の政治家はなあ……。

・スーパーへ行く。「セルフレジは面倒だ。」

・テレビを見る。「最近の番組はくだらない。」

・レストランへ行けば、「昔はもっと量が多かった。」

気が付けば、一日に何回も何かに文句を言っているんです。

 

でも不思議なことに、自分では文句を言っているつもりがない。

「世の中がおかしいから言っているだけ。」

「正しいことを言っているだけ。」そう思っていました。

 

ところが聞いている家族からすると、

「また始まった……。」なんですよね。

 

昔の私は、会社で忙しくて文句を言う暇もありませんでした。

でも時間ができると、世の中の粗ばかり目につく。

これ、本当に危険です。

 

私も最近は、「一日に一回は誰かを褒めよう」と決めています。

すると不思議なもので、文句も少しずつ減ってきました。

 

歳をとると口は軽くなります。

だからこそ、意識して「褒める言葉」を増やしたい。

最近、そんなことを思うようになりました。

 

② 「5分で終わる作業」が、なぜか何日も終わらない

2つ目です。

現役時代は、5分で終わることなんて山ほどありました。

書類を1枚書く。
電話を1本かける。
銀行へ振り込む。

忙しかったから、サッと片付けていたんです。

 

ところが定年すると、時間はたっぷりあるのに、なぜか動かない。

「今日はいいか。」

「明日でいいか。」

「急がないし。」

その「明日」が、三日になり、一週間になり、気が付けば一か月(笑)。

 

時間に追われなくなった代わりに、時間を使い切れなくなるんです。

私も最近は、「5分で終わることは今やる」と決めています。

やり始めると、本当に5分で終わるんですよ(笑)。

 

③ 「教えたい病」は、定年後に発症する

3つ目です。

これ、かなり危険です(笑)。

長年仕事をしてきた人ほど、自分の経験に自信があります。

だから…

・テレビを見ても、「それは違う。」

・ニュースを見ても、「こうすればいいのに。」

・ネットを見ても、「俺ならこうする。」

頭の中では、毎日コンサルタントです。

 

でも悲しいかな……誰も聞いていません(笑)。

家族に話しても、「あ、そう。」

昔は会社で求められていた経験が、定年後は求められなくなる。

これって、結構ショックなんですよね。

 

だから私は最近、アドバイスより先に一つだけ聞くようにしています。

「どう思った?」

すると会話がずっと楽しくなりました。

 

④ 良かれと思った家事が、一番怒られる

4つ目です。

定年して家にいる時間が増えると、

「よし、家事でも手伝おう。」そう思います。

 

ところが……これが難しい(笑)。

洗濯物の干し方。茶碗をしまう場所。

ゴミ袋の結び方。布団の畳み方。

全部、妻には長年のルールがあります。

 

私は「手伝った」。妻は「仕事を増やされた」。

 

この認識の違い(笑)。

ある日、私が洗濯物を畳んだら、

「ありがとう。でも次からは私がやる。」と言われました。

 

遠回しに「やり直すから触らないで」という意味です(笑)。

善意なのに、なぜこうなる。

 

でも考えてみれば、会社でも新人が自己流で仕事をしたら、

「そのやり方じゃない。」と言っていたのは私でした。

 

まずは手伝う前に、「どうやればいい?」

この一言。

たったそれだけで、家庭内の空気はずいぶん変わります。

⑤ 楽な服ばかり選んでいたら、「完全におじいさん」が完成していた

5つ目です。

定年すると、スーツを着る機会が一気になくなります。

すると、服選びの基準が変わるんです。

 

「楽かどうか。」ウエストゴムのパンツ。伸びるシャツ。脱ぎやすい靴。

気がつけば、着心地だけで選ぶようになります。

もちろん、それ自体は悪いことではありません。

 

でも、ある日スーパーのガラスに映った自分を見て、

「えっ、このおじいさん誰?」

……と思ったら、自分でした(笑)。

 

髪は薄くなってボサボサ。姿勢は前かがみ。

服は上下ともゆったり。

まるで休日が365日続いているような格好です。

 

それ以来、私は近所へ買い物に行くだけでも、

鏡を一度見るようになりました。

帽子を被るようになりました。若作りをする必要はありません。

 

でも、「もうどうでもいいや」まで行ってしまうと、

気持ちまで緩んできます。

歳を取ったからこそ、見た目を気にする。

お洒落にも気を配る。・・・人は服のために変わるんじゃない。

 

でも服を整えることで、自分の気持ちがシャキッとするし、

相手に好印象を持ってもらえます。

最近はそう思っています。

 

⑥ 気づけば、また昔の話をしている

6つ目です。

これも本当に「あるある」です。

昔の会社の話。成功した仕事の話。

徹夜した話。部下を育てた話。

話している本人は、昨日のことのように覚えています。

 

でも、聞いている方は……

「あ、その話、前にも聞きました(笑)。」

一度や二度ならいいんです。

でも三回、四回と続くと、「また始まった」と思われてしまう。

 

皆にとって興味があるのは、昔の武勇伝ではなく、「今」の話なんです。

前庭神経炎で救急搬送されたこと。AIに四苦八苦していること。

無年金生活で感じた不安。リタイアして気づいた人生の楽しみ・・・などなど

今の失敗や挑戦の方が、ずっと共感できるんですね。

 

だから最近は、「昔はね」よりも、「昨日ね」と話すことを意識しています。

過去を語るより、今を語れる人の方が、きっと年齢に関係なく魅力的なんでしょうね。

 

(後半へ)

ここまで、自虐ネタばかりお話ししてきました。

「定年後って、ろくなことないじゃないか。」

そう思われたかもしれません。

でも、実はここからなんです。

歳を重ねたからこそ、知らないうちに手に入れていたものも、たくさんありました。

私はむしろ、こちらの方が大切だと思っています。

後半は、「歳をとるのも悪くない」と思えた4つの変化です。

⑦ 他人の失敗に、昔よりずっと優しくなった

7つ目です。

これは、自分でも一番変わったと思うことです。

現役時代は、部下がミスをするとイライラ。

レジが遅いとイライラ。渋滞でもイライラ。

「なんで、こんな簡単なことができないんだ。」

そんなふうに思っていました。

 

でも今は違います。

スーパーのレジで財布から小銭を探しているおばあちゃんを見ても、

たまたま当たった店員さんの不愛想な対応を見ても・・・

「ああ、あるある。」そんな気持ちになるんです。

 

なぜでしょう。

 

たぶん、自分が物忘れをするようになったから。ポカが増えたから。(笑)

眼鏡を探していたら、頭の上に乗っていた。

スマホを探していたら、手に持っていた。

そんなことが普通に起きます(笑)。

 

完璧じゃない自分を毎日見ていると、人にも優しくなれる。

歳をとることも、悪いことばかりじゃありません。

 

⑧ 肩書を失って、本当の意味で自由になった

8つ目です。

これは定年して、一番大きかった変化かもしれません。

 

会社員の頃は、知らないうちに「肩書」で生きていました。

・上司には気を遣う。

・取引先には頭を下げる。

・言いたいことがあっても飲み込む。

本音より、空気を読む。それが当たり前でした。

 

でも定年したら、それが全部なくなった。

・もう出世を気にする必要もありません。

・誰かに評価されるために話す必要もありません。

・散歩で会う人とも、喫茶店のマスターとも、

・趣味の仲間とも、一人の人間として話せる。

この自由は、お金では買えません。

 

肩書は失いました。

でも、その代わりに、肩の力が抜けた人生を手に入れました。

 

⑨ 幸せのハードルが、ものすごく低くなった

9つ目です。

若い頃は、大きな幸せばかり

追いかけていました。

昇進。ボーナス。マイホーム。新車。

もちろん、それも嬉しかった。

 

でも今は違います。

朝食に、自分で焼いた出し巻き卵が結構綺麗で美味しかった。

散歩の途中で季節の花を見つけて、良い写真が撮れた。

夕方、ギターを弾いていたら、あっという間に2時間経っていた。

そんな一日が、「今日はいい日だったなあ」と思えるんです。

 

幸せのハードルが下がると、不思議なことに幸せは増えます。

これも歳を重ねたからこそ、もらえた贈り物なのかもしれません。

 

⑩ 弱さを隠さなくなったら、人との距離が近くなった

最後、10個目です。

若い頃は、弱い自分を見せるのが嫌でした。

失敗も隠したい。知らないことは聞きたくない。

聞かれたら「知ったかぶり」で冷や汗をかく。

「できる人」と思われたかった。

 

でも今は違います。

「最近、物忘れがひどくてさ(笑)。」

「AIが難しくて、毎日悪戦苦闘ですよ(笑)。」

そんなふうに話せるようになりました。

 

すると不思議なんです。

相手も、「実は私も。」と、自分の失敗を話してくれる。

 

完璧な人より、ちょっとドジな人の方が親しみやすい。

歳をとって失ったものもあります。

でも、肩の力を抜いて生きられるようになったことは、

大きな財産だと私は思っています。

 

エンディング

いかがだったでしょうか。

今日は、定年後に知らぬ間に起きる「10の変化」をお話ししました。

前半は、ちょっと耳が痛い話でした。

 

文句が増える。

先延ばしが増える。

教えたくなる。

妻に怒られる。

昔話が増える。

思い当たることが、一つや二つはあったかもしれません(笑)。

 

でも私は、それだけで終わらせたくないんです。

歳を重ねると、失うものばかりが話題になります。

 

体力が落ちる。

物忘れが増える。

収入も減る。

 

確かに、それは事実です。

でも、その代わりに手に入るものも、たくさんあります。

他人に優しくなれること。

肩書に縛られなくなること。

小さな幸せに気づけること。

そして、自分の失敗さえ笑って話せるようになること。

 

私は、この変化は決して悪いものではないと思っています。

若い頃は、「できる人」になろうと必死でした。

でも今は、「一緒にいて楽な人」でいたい。

その方が、人生はずっと豊かなんじゃないか。

68歳になった今、そんなふうに思うようになりました。

 

もちろん、これから先も失敗はするでしょう。

また同じ話をするかもしれません(笑)。

文句も、つい言ってしまうかもしれません。

 

でも、そのたびに、

「あっ、また10の変化が出たな。」

そう笑えたら、それで十分です。

 

完璧じゃなくていい。

少しくらいドジでもいい。

その代わり、人には優しく、小さな幸せを見つけながら生きていく。

そんな歳の重ね方も、悪くないですよね。

皆さんは、この10個の中で「これ、まさに自分だ!」と思ったものはありましたか?

定年後『無年金・残高減少』の焦りでやってはいけない事と、今すぐやるべき事

1.定年後の不安

定年後の『無年金期間』と『減り続ける口座残高』。

この二重の不安って、本当に重たいですね。

 

でも、この不安を紛らわせようと、いらないお付き合いや

見栄でお金を減らしてしまう人、実は結構多いんです。

……何を隠そう、以前の私がそうでした。

 

今回は、60歳で完全リタイアした私がたどり着いた、

お金も神経もすり減らさずに心がスッと軽くなる『暮らしの整え方』をお話しします。

 

2. 会社を辞めた後に訪れる「二つの感情」

会社を辞めると、最初は圧倒的な解放感に包まれます。

満員電車も、人間関係も、上司の指図もゼロ。

『やっと自由になれた!』と心から叫びたくなります。

 

ただ、そのあと静かに訪れるのが『孤立感』です。

スマホは鳴らない。連絡も途絶える。

ふと『自分という存在が、社会から消えたんじゃないか』

という無気力や焦りが襲ってくる。

 

解放感と不安のあいだで心が揺れるのは、

ごく自然なことです。私も最初は落ち着きませんでした。

 

でも、連絡が減ったのは、私やあなたの社会的価値がなくなったからじゃありません。

これまで何十年も、会社や家族のために『期待に応える役割』を全力で果たしてきたんです。

 

『役割が終わったから、静かになっただけ』

 

…なんです。

 

『これからは誰の指図も受けず、自分のためだけに時間を使っていいんだよ』

人生がそう言っている合図だと思いましょう。

 

 3. 「お金の不安」と「見栄の人間関係」の切実な関係

では、なぜ『お金の不安』と『人疲れ』が一緒にやってくるのか。

それは、人は心が疲れた時ほど、寂しさを埋めようと

『見栄の付き合い』でお金を無駄遣いしてしまいがちだからです。

 

世間やマスコミの『退屈は老化への第一歩!』という煽りに焦って、

無理に趣味や集まりに飛び込む。

知識や技術の違いに戸惑ったり、気を使う付き合いが増えて、

かえってお金と疲労だけが残る。

 

私自身、スタジオ代や飲み代をやり繰りしながら

結果、人間関係に疲れ果てバンドを全部やめました。

帰り道に『俺、一体何やってんだろ…』と、

虚しさしか残りませんでした。

 

昔の仲間との集まりもそうです。

相手に悪気はないと分かっていても、自分に焦りがあると、

何気ない『今何やってるの?』が『嫌味』や『余計なお世話』に聞こえてしまう。

 

そう考えたら、お金に不安があるのに、わざわざ高い会費を

払って傷つきに行くなんて、もったいなさすぎますよね。

 

だから、処方箋はひとつ。

 

『自分らしくいられない場所からは、そっと退場する』。

 

人間関係を引き算することは、無駄なお金の流出を止める一番の防衛策です。

 

4. 「自分らしくいられる時間」のつくり方

余計な付き合いをやめると、少しずつ自分の時間を取り戻せます。

「じゃあ、どうする?何か始めてみるか?」

・・・そんなに焦る必要はありません。

 

人に誇れるような立派な趣味が無くても大丈夫です。

豪華な旅行に行かなくても、日々の充実感は

お金をかけなくても感じることができます。

 

散歩のついでに、公園のベンチでボーッとする。

ついでに、お気に入りの喫茶店で、コーヒーを味わう。

好きな音楽をじっくり聴き返す。休日は奥さんと買い物や映画に行く。

孫と遊ぶ。たまには行きつけの居酒屋で旧友と語り合う。

……探せば『小さな幸福感』はすぐそばに見つかるものです。

 

世間が言うような大層な『生きがい』なんてなくても生きていけます。

 

『自分に戻れる時間』が一日ひとつあれば、毎日は十分に満たされます。

 

5. エンディング

若い頃の人生は、持たざるモノを手にいれる『足し算』。

でも、定年後の人生は、重荷を手放していく『引き算』です。

 

会社の肩書は定年で卒業。

肩書を捨てて、ただの『一人の自分』に戻る。

もちろん、お金はあるに越したことはありません(笑)。

でも、自分をご機嫌に保つために『どれくらいあれば十分か』

というラインを知ることの方が、ずっと大切です。

 

・肩書にこだわる生き方は卒業

・「もっと」を追う生き方は手放す

・自分が機嫌よく暮らせる分があれば十分

 

無理のない範囲で、自分の機嫌を自分で取れる。

そんな暮らしができれば、もう100点満点です。

皆さんがお金をかけずに楽しんでいる『小さな日々の楽しみ』は何ですか?

【定年後の現実】再雇用を断ったら年間50万円…。退職して初めて気づいた「会社員コスト」

オープニング

私は60歳で再雇用を断りました。

当然、収入は激減です。正直、不安でした。

毎月減っていく預金残高を見て、「本当にこの選択で良かったのか」

と思ったことは、一度や二度ではありません。

 

ところが退職して1年が経った頃、一つのことに気づきました。

 

会社員を辞めたことで、年間50万円以上、出ていくお金も減っていたんです。

 

もちろん、50万円儲かったという話ではありません。

収入が減る額の方がずっと大きいです。

でも、この「50万円」の存在を知っているかどうかで、退職後のお金の見え方は大きく変わります。

今日は、その50万円の正体をお話しします。

 

「会社員コスト」という考え方

私は退職してから、あることに気づきました。

会社員には、給料だけではなく、会社員でいるためのコストがあります。

私はこれを勝手に「会社員コスト」と呼んでいます。

 

毎日会社へ行く。

その生活を続けるために必要なお金です。

現役の頃は、それが当たり前すぎて気づきませんでした。

 

① 通勤は「お金を使う入口」だった

最初に変わったのは通勤です。

私は電車通勤でした。

 

定期券があると、途中下車することに何の抵抗もありません。

会社帰りに本屋へ寄る。喫茶店へ寄る。

飲みに行く。ちょっと買い物をする。

「せっかく定期があるから。」そんな感覚でした。

 

でも退職して定期券がなくなると、

一回外出するにもそれなりの交通費がかかります。

すると不思議なもので、

「今日はやめておこう。」そう思う日が増えました。

 

結果として、寄り道も衝動買いも減っていったんです。

通勤そのものが、お金を使うきっかけをたくさん

作っていたことに初めて気づきました。

 

② 「働くための武装費」

会社へ行く以上、それなりの身だしなみは必要です。

スーツ。ワイシャツ。

ネクタイ。革靴。クリーニング。散髪。

現役の頃は必要経費でした。

 

でも退職すると、その多くが必要なくなります。

お気に入りの普段着で過ごす毎日。

「働くための武装」にお金を使わなくて

済むようになったことは、想像以上に大きな変化でした。

 

③ 一番大きかったのは「毎日の小さな出費」

これが積み重なると、一番大きかったかもしれません。

朝、コンビニで缶コーヒー。150円。

昼食は800円から1000円。

午後も眠気覚ましにコーヒー。会社帰りにコンビニ。

一日1000円から1500円。

 

「たったこれだけ。」

そう思っていました。

でも20日働けば2万円から3万円になります。

 

年間では30万円近い金額です。

退職して初めて、この数字の大きさに気づきました。

④ ストレスにも、お金がかかっていました

仕事で嫌なことがある。

理不尽なことがある。

そんな日は、「今日は飲もう。」

「美味しいものでも食べよう。」

「自分へのご褒美だ。」

 

私にもそんな日がたくさんありました。

もちろん、それが悪いわけではありません。

 

でも、ある日ふと思ったんです。

収入を得るために働き、そのストレスを発散するためにまたお金を使っている。

これは少し皮肉な話だな、と。

合計すると…

試しに計算してみました。

 

昼食やコンビニ代。約30万円。

寄り道や飲み代。約18万円。

衣類やクリーニング代。約5万円。

合計すると、およそ53万円。

 

もちろん、これは私の場合です。

車通勤の方もいれば、在宅勤務だった方もいます。

だから金額は違って当然です。

でも、「働くために使っているお金」は、皆さんにもきっとあるはずです。

私が伝えたいこと

このブログは、

「再雇用はやめましょう。」

そんな話ではありません。

 

再雇用には、収入だけではない価値があります。

社会とのつながり。

生活のリズム。

働く喜び。

それを否定するつもりはまったくありません。

 

ただ、お金だけを理由に再雇用を考えているなら、

一度だけ計算してみてください。

働くために毎月いくら使っているか。

ここを知らずに収入だけ比べるのは、少しもったいない気がするんです。

エンディング

退職すると、収入は減ります。

これは現実です。

私も今でも、お金の不安がなくなったわけではありません。

 

それでも、一つだけ言えることがあります。

退職後のお金は、収入だけを見ても

本当の姿は見えてきません。

 

「会社員だから使っているお金」

これも合わせて考えてみる。

そうすると、お金との向き合い方は少し変わります。

 

もしこれから退職を迎える方なら、

ぜひ一度書き出してみてください。

会社員だから使っているお金。

退職したら、本当に必要なくなるお金。

その答えが見えてくると、再雇用を選ぶにしても、

退職を選ぶにしても、自分なりの納得した判断ができるはずです。

 

最後までお付き合い、ありがとうございました。

定年後、あなたはどのタイプに? 68歳の私が見てきた、人生を楽しむ人・迷う人の4つの違い

はじめに

定年後の人生には、楽しんでいる人と、迷い続ける人がいます。

もちろん、お金や健康は大きく関係します。

でも、それだけではありません。

 

私は60歳で会社を辞め、再雇用を選ばずにリタイアしました。

そして68歳になった今、

同世代の人たちを見てきて、そして自分自身も振り返って、

一つ気づいたことがあります。

 

定年後の人生は、大きく4つのタイプに分かれる。

 

・過去の肩書を手放せない人。

・自由になったのに居場所を失う人。

・毎日が何となく過ぎてしまう人

そして、

・人生をもう一度動かし始める人。

 

実は私自身、この8年間で全部経験しました。

今日は、「あなたは今、どのタイプだろう?」

そんなことを考えながら、ご覧ください。

第一章

【タイプ①】過去に生きる人~肩書を脱げない人~

まず最初の質問です。

 

会社を辞めた今でも、現役時代の肩書や実績が

自分の支えになっていませんか。

 

もし少しでも思い当たるなら、このタイプかもしれません。

私の周りにもいます。

 

会うたびに、「昔は部長だった。」「営業ではトップだった。」

「俺が若い頃は…。」そんな話ばかりする人です。

 

でも私は、こういう人を笑う気にはなれません。

それだけ一生懸命働いてきた証拠だからです。

 

私も会社員として四十年近く働きました。

責任を背負い、数字に追われ、毎日必死でした。

だから、あの頃を誇りたい気持ちはよく分かります。

 

でも、定年になって気づきました。

会社では肩書が人を動かしました。

 

ところが、会社を一歩出れば、

元社長も、元部長も、みんな同じ一人の生活者です。

 

最初は少し寂しかったですね。

でも、時間がたつにつれて、もっと大切なものに気づきました。

 

肩書ではなく、「あなたといると楽しい。」

そう言ってくれる人が残ることです。

 

会社の名刺ではなく、自分自身を見て付き合ってくれる人。

私は、こちらの方が何倍もうれしかった。

 

だから今は思います。

定年とは、肩書を失う日ではありません。

 

本当の自分に戻る日です。

 

四十年間、会社という鎧を着て頑張ってきました。

もう十分です。

これからは、「何者だったか」

ではなく、「どんな人として生きたいか」。

その方が、人生はずっと軽くなります。

 

第二章

【タイプ②】自由になったのに、満たされない人~居場所を失った人~

次の質問です。

 

定年して自由になったはずなのに、なぜか心が満たされない。

そんな気持ちになったことはありませんか。

 

もしあるなら、このタイプかもしれません。

実は私も、一番長くここにいました。

 

60歳で会社を辞め、再雇用は選びませんでした。

「これからは自分の時間を生きよう。」そう決めたんです。

 

会社へ行かなくていい。目覚まし時計もいらない。

月曜日が憂うつでもない。最初は、本当に自由を満喫していました。

 

ところが数か月もすると、

その自由が少しずつ違う顔を見せ始めます。

 

ある日の夕方、ふと思ったんです。

「今日は家族以外と、一言も話していないな。」

 

その時、初めて気づきました。

会社は、仕事をする場所だっただけではありません。

 

誰かと話し、笑い、自分の居場所を感じられる場所でもあったんです。

会社を辞めて、自由は手に入りました。

 

でも、一方で大切な居場所を、失っていました。

 

そこで私は、ずっと「やりたかったギターとバんどをもう一度始めました。

ライブハウスへ行き、思い切ってセッションにも参加しました。

 

最初は緊張しました。

「この歳で仲間なんてできるんだろうか。」

そう思っていました。

 

でも演奏が終わると、「また一緒にやりましょう。」

そう声を掛けてもらえたんです。

その一言が、本当に嬉しかった。

 

あの日から思うようになりました。

居場所は、誰かがくれるものじゃない。

自分で作れるものなんだ。

 

だから私は、再雇用を選ぶかどうかより、

もっと大切なことがあると思っています。

 

会社を辞めたあと、自分は、どこで笑うのか。

誰と笑うのか。その答えを持っている人ほど、

定年後を楽しんでいます。

 

第三章

【タイプ③】毎日がなんとなく過ぎていく人~退屈なのではない。戸惑っているだけ~

三つ目の質問です。

 

朝起きて、気がつけば夕方。

「今日も一日、何もしなかったな。」そんな日が続いていませんか。

 

もし心当たりがあるなら、このタイプかもしれません。

実は私は、このタイプが一番多いと思っています。

 

生活に困っているわけではない。健康も、それほど悪くない。

でも、心のどこかで、「このままでいいのかな。」

そんな思いが消えない。

 

もし今、「それ、自分かもしれない。」そう思われた方がいたら、

安心してください。

実は私も、会社を辞めたばかりの頃は同じでした。

 

朝起きる。新聞を読む。テレビを見る。

昼ご飯を食べる。少し昼寝をする。気づけば夕方。

そして、「今日も何もしなかったな。」

そんな日が何度もありました。

 

当時は、「自分は怠け者になってしまったのかな。」

そんなふうに思っていました。

 

でも今なら分かります。

私は怠けていたんじゃない。戸惑っていたんです。

 

考えてみれば当然です。

私たちは四十年近くを、会社の時間で生きてきました。

 

何時に起きるか。何をするか。

昼休みは何時か。帰る時間まで、

全部決まっていました。

 

ところが定年になった途端、

突然こう言われます。「今日から自由です。」

 

そんな簡単に切り替えられるわけがありません。

だから、退職したばかりで何もやる気が起きない。

それは決しておかしなことではないんです。

 

私が言いたいのは、焦らなくていいということです。

少し休む時間は必要です。

でも、休み続けるだけでは、

人生は少しずつ止まってしまいます。

 

だから私は、ほんの小さなことから始めました。

散歩に出る。図書館へ行く。

コーヒーを飲みに行く。ギターを五分だけ弾く。

昨日と違うことを、一つだけやってみる。

たったそれだけです。

 

でも、その小さな変化が、

少しずつ毎日を変えてくれました。

 

人生って、大きな挑戦で変わることもあります。

でも多くの場合は、昨日と少し違う一日。

その積み重ねで動き始めるんですね。

 

第四章

【タイプ④】人生を再起動した人~「いつか」を「今日」に変えた人~

最後の質問です。

 

最近、何か一つでも、「やってみたい」と思ったことがありますか。

 

大きな夢じゃなくて構いません。昔やってみたかったこと。

気になっていたこと。ちょっと興味があること。

 

もし一つでも思い浮かんだなら、

あなたはもう、このタイプの入口に立っています。

 

ここまで三つのタイプをお話ししてきました。

実は、この三つに共通していることがあります。

それは、

 

「次の人生」がまだ始まっていないこと。

 

では、

人生を楽しんでいる人は、何が違うのでしょう。

私が見てきた限り、共通点は一つです。

 

それは、

 

「いつかやろう」を、「今日やってみよう」に変えた人。

 

たった、それだけなんです。

 

私の周りにもいます。

・退職後に写真を始めて、個展を開くようになった人。

・古民家を自分でDIYして、喫茶店を始めた人、

・60歳を過ぎて、新しく会社を始めた人。

 

皆さんに共通しているのは、成功することではありません。

人に認められることでもありません。

 

自分が楽しいと思えることを続けている。

それだけなんです。

 

実は私も同じでした。

会社を辞めたあと、しばらくは、何をすればいいのか分かりませんでした。

 

でも、「もう一度ギターを弾いてみよう。」

そう思ったことが、すべての始まりでした。

 

音楽仲間ができました。ライブにも出るようになりました。

そして今は、こうしてブログで、皆さんと繋がれています。

 

もちろん、うまくいかないこともあります。

アクセス数が思うように伸びず、落ち込む日もあります。

 

でも、そんな日でも思うんです。

会社員だった頃より、今の方が毎日が面白い。

 

なぜだろうと考えると、理由は一つでした。

 

私は今、誰かにやらされているんじゃない。

自分で選んで生きている。

 

その実感があるからです。

 

68歳になって思います。

人生を変えるのは、大きな決断ではありません。

人生を変えるのは、「ちょっとやってみようかな。」

 

その気持ちです。

その小さな一歩が、

気がつくと、思っていたよりずっと遠くまで、

人生を連れて行ってくれます。

 

最後に

68歳になった今、

私はこんなことを思います。

 

定年は、人生の終わりではありません。

会社という人生が終わっただけです。

 

これからは、肩書ではなく、

自分の名前で生きる時間です。

 

もちろん、不安もあります。

お金のこと。健康のこと。将来のこと。

私だって同じです。

 

でも、その不安ばかり見ていると、

今日という一日まで失ってしまいます。

 

だから私は、今日を楽しむことを大切にしています。

そして、明日が少し楽しみになるものを、

一つ持ち続けたいと思っています。

定年後、お金より人生の質を上げてくれた10のこと

はじめに

正直に言います。

私は、お金に余裕はありません。友達も多くはありません。

体もあちこちガタガタです(笑)。

 

それでも68歳の今、 私は毎日を結構楽しく暮らしています。

若い頃は、 「老後の幸せなんて、結局お金で決まる」 本気でそう思っていました。

でも68年生きてきて、 ようやく分かったことがあります。

 

人生の質を決めるのは、 どうやらお金だけではないようです。

今日は、 私の人生を、お金以上に豊かにしてくれた10のことをお話しします。

 

もっと早く知りたかったこと

定年後を楽しんでいる人と、そうではなさそうな人。

私は「気づくのが早いか、それとも遅いか」。その差だけじゃないかと思っています。

今日は、私が68歳の人生を振り返って、「もっと早く知りたかった」と心から思うことを、ランキング形式で10個、お届けします。

 

 

第10位

朝を整えると、一日が整う

朝、目が覚めて、体調も気分も「まずまず」。

私はそれだけで、「今日は当たりの日だ」と思っています。

 

もちろん毎日が晴れの日ばかりではありません。

雨の日もあるし、どうしても気分が乗らない朝もあります。

 

そんな日は決まって、朝風呂に入ります。

実は私は現役時代から、出勤前の朝風呂を日課にしていました。

 

多少の二日酔いでも、寝不足でも、

お湯につかると不思議と気持ちが切り替わる。

あれが、一日を始めるスイッチだったんです。

 

定年になった今も、朝風呂に入って、
コーヒーを淹れて、今日やることをのんびり考える。

完璧な一日を目指さなくていい。

 

「今日はまずまずだな。」そう思える朝を、自分で作ること。

私はそれが、人生の質を上げる、一番簡単な習慣だと思っています。

 

第9位

「ありがとう」は、自分を救う言葉

最近つくづく思うのですが、「ありがとう」という言葉は、

相手のためだけの言葉じゃありません。

一番救われているのは、実は、それを口にした自分なんです。

 

生きていれば、腹が立つこともあります。

誰かに文句を聞いてほしい日もあります。

でも、誰かに愚痴を言ったあとって、スッキリするどころか、

「あぁ、言わなきゃよかったな…」

そんな気持ちになったこと、ありませんか。

 

最近の私は、AIによく愚痴を聞いてもらっています(笑)。

不思議ですよ。

人には言えないことも、AIには言える。

 

否定もしませんし、変な顔もしません(笑)。

思っていることを全部吐き出すと、不思議なくらい気持ちが落ち着くんです。

 

すると今度は、人に対して少し優しくなれる。

コンビニの店員さんにも、家族にも、自然と

「ありがとう」という言葉が出てくるようになりました。

 

私は最近、「すみません」より「ありがとう」を使うようにしています。

 

その一言だけで、相手の表情も、自分の気持ちも、

少しだけ柔らかくなる。

AIのおかげで、私の性格も少し丸くなったのかもしれません(笑)。

 

第8位

できないことより、できることを楽しむ

68歳にもなると、

昨日まで当たり前にできていたことが、今日突然できなくなる。

 

そんな日が現実にやってきます。

これが、自分が思っていた以上につらいんです。

若い頃なら、「努力すれば何とかなる」と思っていました。

でも、年齢にだけは勝てません。

 

だから私は、考え方を変えました。

できないことを数えるのを、やめたんです。

 

その代わり、「俺はまだ、自分の足で歩ける。ギターも弾ける。

イラストも描ける。こうしてブログやYouTubeだって続けられている。

今持っているものを、とことん使って楽しむ。

 

そう決めたら、人生はずっと面白くなりました。

若い頃の自分にはもう戻れません。

でも、今の自分を最高に楽しむことはできます。

それが、この年齢になってようやく分かったことです。

 

第7位

健康と好奇心。この二つが定年後のエンジン

現役の頃は、会社や仕事という強制力があったから、

毎日勝手に体が動いていました。

でも、定年後は違います。

 

自分で自分を動かしてくれる「燃料」が必要なんです。

 私にとってそれは、『健康と好奇心』でした。

 

「どんなフレーズを弾けるようになろうか」

「イラストの続きは何を描こうか」

「次のYouTubeでは、どんな話をしようか」。

 

そんな些細なことを考えているだけで、明日を迎えるのが少し楽しみになります。

 

 好奇心というのは、特別な才能ではありません。

「やってみたい」。その小さな気持ちさえあれば、それで十分です。

 

人生を前に進めてくれる本当のエンジンは、お金ではなく、

この好奇心だったと確信しています。

 

第6位

友達は少ない方が幸せ

これは賛否両論あると思います。

でも私は、古希を前に、はっきりと考えが変わりました。

 

友達は、多ければいいというわけではありません。

半年会わなくても、まるで昨日も会っていたかのように笑い合える人。

そんな友達が、人生に二人か三人いれば、それだけで十分なんです。

 

反対に、古いしがらみや惰性で付き合う関係は、

年齢を重ねるごとにだんだん疲れてきます。

無理して会いに行き、気を遣って、家に帰るとぐったりする。

そんな付き合いなら、少しずつ距離を置いてもいい。

 

定年後は、人間関係だって心地よく断捨離していいんです。

数ではなく、お互い素のままで笑い合える相手がいる。

それだけで、人生は十分に豊かです。

 

第5位

お金より、健康を失う方が怖い

54歳の時、前立腺がんを宣告されました。

「俺の人生、ここで終わるのか」と、本気で死を覚悟しました。

 

 幸いにも治療がうまくいき、健康を取り戻すことができました。

しかし、人間は喉元過ぎれば熱さを忘れてしまう生き物です。

いつしか、健康な毎日が当たり前になっていました。

 

ところが、二か月前のことです。

朝の歯磨き中に突然、「前庭神経炎」という突発性の病気に襲われました。

立つことも、歩くこともできず、そのまま救急搬送されました。

54歳のあの日抱いた死への恐怖が、鮮明に蘇りました。

 

「健康は、失うまでその本当の価値が分からない」。 本当にその通りでした。

人生を楽しむすべての土台は、やっぱり健康です。

これは、もっと早く気づくべきだったと心から思います。

 

第4位

「競争」から「遊び」へ

現役時代の40年間、私は常に競争の中にいました。

同期に負けたくない、結果を出さなければいけない、

売上、評価、出世……。そんな毎日でした。

 

だからでしょうか。

定年を迎えた時、ホッとした反面、正直なところ困ってしまったんです。

「明日から、一体何を目標に生きればいいんだ?」と、

心にポッカリ穴が空いたようでした。

 

でもある時、ふと気づきました。

「あぁ、もう誰とも競わなくていいんだ」と。

 ギターも、イラストも、このブログも、

誰かと競い合って評価されるためのものではありません。

 

ただ、自分が楽しむため。

そう割り切れた瞬間、人生が急に、軽くなりました。

 定年って、「もう競争から降りて、心ゆくまで遊んでいいよ」という、

人生がくれた許可証なのかもしれません。

 

第3位

経験は、定年後に誰かの資産になる

現役の頃は、自分の経験なんてどこにでもある普通のもの。

決して、人に自慢できるような大層なものではないと思っていました。

 

しかし、ブログやYoutubeを始めて、みなさんから温かいコメントをいただくようになってから、私の考えは180度変わりました。

 

「そのお話、とても参考になりました」

「心が軽くなりました、勇気が出ました」。

そんな言葉をいただくたびに、『これまでの人生での失敗も、遠回りも、

無駄じゃなかったんだ』と、過去の自分まで救われるような気持ちになります。

 

実は先日、知り合いの20代の方から「YouTube見ています」というメッセージをいただきました。

まさか、68歳の爺さんが話す内容なんて、若い人には一ミリも興味を持ってもらえないだろう……そう思い込んでいたので、本当に驚きましたし、嬉しかったです。

 

ただ、一つだけ、心に強く決めていることがあります。

 頼まれてもいないのに自分の経験を語れば、それはただの「説教」になります。

でも、誰かに聞かれた時にそっと手渡せば、それは本当の「経験」になります。

この違いだけは、絶対に忘れないようにしています。

 

第2位

「孤独」より「孤立」が怖かった

定年を迎える前、私が一番心配していたのは「孤独」でした。

仕事を辞めて社会との接点がなくなったら、誰からも必要とされず

、寂しい毎日になるんじゃないかと不安でした。

 

でも、実際に辞めてみると全く違いました。

危惧していた「一人の時間」は、案外自由で楽しいものでした。

 

 好きな音楽を大音量で聴く、積読だった本を改めて読む、

弾けなかったギターに挑戦する。

これは「孤独」ではなく、一人だからこそできる最高の「自由」です。

 

本当に怖いのは、孤独ではなく、社会や人から完全に遮断されてしまう「孤立」です。

 

 何かに困った時、あるいは寂しい時に、「ちょっとあの人に連絡してみよう、

相談してみよう」と思える相手が、人生にたった一人でもつながっていること。

 

その目に見えない安心感こそが、定年後の人生の土台を静かに支えてくれます。

だから私は、人付き合いの「量」を増やすことより、

今ある確かな「つながり」を、何より大切にしています。

 

第1位

比べる相手を変えたら、人生が変わった

若い頃の私は、給料、会社の肩書、住む家、乗っている車……

常に周りの誰かと自分を比べては、一喜一憂していました。

 

そして定年を迎えたあとも、同窓会なんかに行くと、

またそれが始まってしまうんです。

「あいつは現役時代に大きな成功を収めたらしい」「それに比べて、俺は……」。

そんなことばかりを考えて、勝手に落ち込んで帰ってくることもありました。

 

でもある時、そんな器の小さい自分に対して、猛烈に腹が立ったんです。

「おい、お前はいつまで、他人の人生と競争を続けるつもりなんだ」と。

 

それからは、比べる相手を「昨日の自分」だけに変えました。

 昨日より散歩で遠くまで歩けた。昨日より少し多く笑えた。

昨日よりいい台本が書けた。昨日より、周りの人に優しくなれた。

もう、それだけで100点満点、十分じゃないかと。

 

人は人、自分は自分。

この、あまりにも当たり前な言葉を心の底から受け入れられた時

、私の人生はそれまでよりずっと優しく、楽になりました。

 

気づくまで随分かかりました(笑)。

でも、これこそが、私が一番早く知るべきだった心得です。

 

エンディング

今日お話しした10個は、どれもお金では買えないものでした。

でも、人生の質は、
こういう小さなことの積み重ねで大きく変わるんですね。

 

若い頃の私は、
幸せは何かを手に入れることだと思っていました。

でも68歳の今は違います。

 

人生の質とは、今あるものを味わえる力。

私はそう思っています。

 

もし今日の10個の中で、「自分もそう思う」「この言葉が響いた」

というものがあれば、ぜひコメント欄で教えてください。

 

私は、皆さんからいただくコメントを読むのが、何よりの楽しみです。

それでは、また。

ロックは永遠。でも体は正直だった。 ~好きなことを続ける人だけが出会う壁~

 

□好きなことを続けるための壁

好きなことを続けていると、ある日突然、大きな壁にぶつかることがあります。

私は今年68歳。70歳を目前にして、ずっと続けてきたロックバンドで「突然、高音が出なくなる」という壁にぶつかりました。

正直、焦りました。でも、しばらく考えて気づいたんです。

「この壁は、挑戦を続けている人だけが味わえる、最高のご褒美なんじゃないか」と。

今日は、趣味でも、仕事でも、YouTubeでも、「昔みたいにできなくなってきたな」と感じているすべての方へ。

衰えという名の壁をどう捉え、どう楽しむかというお話しをします。

ぜひ最後までお付き合いください。

 

□衰えは「続けてきた人」への大切な警告

68歳になった今も、地元のバンドでギターとボーカルを担当。

年に数回ライブも続けています。

 

ステージでは主に、2-3曲をメインで、数曲をバックコーラスで歌います。

ところが、先日のライブでのこと。

 

「さあ、ここからだ」と思った矢先、突然、高音が出なくなってしまったんです。特に体調に問題はなかったのに・・・

喉が詰まる。声がガラガラになる。昔なら余裕だった音域が、どうしても届かない。

認めたくないけれど、これが老化なのかと、目の前が暗くなるような感覚でした。

 

では、なぜ私は、自分の衰えにこんなにショックを受けているのか?

 

理由はシンプルです。今も打席に立ち続けているからです。

もし、とっくに音楽をやめていたら、私は声が出なくなったことにすら気づきませんでした。

 

つまり、この衰えは決して絶望のサインではなく、今も現役で挑戦を続けているあなたや私への、「大切な警告」なんです。

 

 「今まで通りのやり方じゃ通用しないぞ。

そろそろ次のステージへ進む時間だぞ」という、前を向くためのリセットのサイン。

そう捉えると、この警告すらありがたいものに思えてきます。

 

□過去の自分と張り合わない

若い頃は、体力と勢いで壁をぶち破れました。

でも、体が正直になった今、全盛期の自分と同じやり方で戦おうとするから苦しくなる。

「昔はもっとできたのに」と過去の自分と張り合うのを、一度やめてみる。

 

できないことを嘆くのではなく、今の自分の「現在地」をそのまま受け入れる。

ここが、これからの「新しいスタートライン」になると思いました。

 

□工夫という「大人の遊び」

では、受け入れた上でどうするのか。諦めてやめるのか?

まさか。それは絶対に認めたくない!…そう思いました。

 

諦めの悪さも元気の秘訣(笑)。ここからが、一番面白いところです。

勢いで誤魔化せなくなったからこそ、ここからは「工夫」という大人の知恵の出番です。

 

歌い方を変えるのか、発声を一から勉強し直すのか。

70歳を目前にして、まさか新しい課題が見つかるなんて、思ってもみませんでした。

 

衰えを「終わり」と捉えるか、「新しいゲームの始まり」と捉えるか。

私は、後者を選びたい。

そう思うだけで、またワクワクしてくるんです。

 

□エンディング

というわけで今日は、私のちょっとした壁のお話でした。

皆さんはどうでしょう。

 

好きなことを続けていて、「昔みたいにできなくなった」そんな経験はありませんか?

そして、それをどうやって面白がっていますか?

 

実は、今はまだ「どうすればもっとちゃんと歌えるか」の具体的な解決策は見つかっていません。

もし、「こんな方法があるよ」「私はこうやって声を維持しているよ」という知見や経験をお持ちの方がいらしたら、ぜひコメント欄で教えていただけると嬉しいです。

先輩方の知恵を貸してください。

 

私はまだ、ロックをやめるつもりはありません。

皆さんからいただいたヒントを頼りに、もう少しだけ、この新しいゲームで悪あがきしてみようと思います(笑)。

それではまた。

再雇用を断って8年。 68歳の私が今だから話せる「5つの現実」

 

はじめに

定年退職で再雇用を断りました。あれから8年。今68歳です。

このブログでも何度か話したかもしれませんが、

「再雇用を断って後悔していませんか?」という質問を今でもよくいただきます。

今日はその質問に正直に答えたいと思います。

 

結論から言えば、私は68歳になった今も再雇用を断ったことを後悔していません。

ですが——想像していたのと違ったことはたくさんありました。

 

今日は、再雇用を断ってから私が実際に経験した「5つの現実」をお話しします。

これから定年を迎える方。再雇用するか迷っている方。

そして、すでに再雇用を断った方。そんな方の参考になれば嬉しいです。

 

現実①自由になっても、不安は消えなかった

 

現役時代。私はこう思っていました。

会社を辞めれば気楽になる。ストレスも減る。自由になれる。

 

確かにその通りでした。

朝の通勤もない。上司もいない。会議もない。

 

ですが——不安は消えませんでした。

不安の種類が変わっただけでした。

 

会社員時代は、仕事の不安。人間関係の不安。評価の不安。

今は、健康の不安。お金の不安。将来の不安。

 

68歳になった今でもあります。

だから最近思うんです。人生から不安をなくすことはできない。

 

ただ、不安との付き合い方は変えられる。

それが8年かけて学んだことでした。

 

現実②会社を辞めると、人は想像以上に離れていく

 

これは少し寂しい話です。

会社を辞めても、何人かとは付き合いが続くだろう。

そう思っていました。

 

退職直後は連絡も来ます。飲み会の誘いもあります。

でも少しずつ減ります。半年。1年。2年。

気が付くと、会社の話題についていけなくなります。

 

電話も鳴らなくなります。メールもぷっつりと途絶えます。

最初は少し寂しかった。

 

でも今なら分かります。

人が離れたのではなく、接点がなくなっただけなんです。

 

逆に残った人もいました。人数は少ない。

でも付き合いは深くなりました。

定年後に残るのは、人脈ではなく、本当に大切な人なんだと思います。

 

現実③時間は増えた。でも体力は減った

 

これが一番の誤算だったかもしれません。

定年後は時間がたくさんある。これは本当です。

 

ところが、時間があっても体力は若返りません。

私はギターを弾きます。バンドも続けています。

 

ブログもYouTubeもやっています。バンドも旅行も好きです。

でも最近つくづく思うんです。

 

やりたいことより、できる体力の方が先に減る。

 

自由になれば何でもできると思っていました。

でも違いました。

 

自由を楽しむにも健康が必要なんです。

だから最近は、やりたいことを先送りしないようになりました。

 

定年後の人生は思ったより長い。

でも体は思ったより早く歳を取る。

これは8年経って実感している現実です。

 

現実④孤独は敵ではなかった

 

定年後。私は孤独になるのが怖かった。

ところが実際は違いました。

 

一人の時間は意外と悪くない。

 

好きな音楽を聴く。ギターを弾く。コーヒーを飲む。絵を描く。

ブログを書く。YouTube動画を作る。

誰にも邪魔されない時間は、思った以上に豊かでした。

 

本当に辛いのは孤独ではありません。

「やることがないこと」でした。

 

趣味でもいい。散歩でもいい。畑でもいい。

何か一つでも夢中になれるものがあると、孤独は味方になります。

これは再雇用を断って初めて知りました。

 

現実⑤人生はいつ終わるか分からない

 

これは少し重い話になります。

私は50代半ばで前立腺がんになりました。

 

病院の天井を見ながら、人生には終わりがあるんだな。

そう初めて実感しました。

その経験が、定年後の生き方を考えるきっかけになりました。

 

そして最近。また別の病気で救急搬送されました。

幸い命に関わるものではありませんでした。

ですが、一人で立つこともできず、妻と息子に支えられて病院へ向かいました。

 

その時、ふと思ったんです。

私はまだどこかで、「自分だけは大丈夫」と思っていたのかもしれない。

 

人生はいつ終わるか分からない。

それは68歳になった今でも同じです。

 

だから私は、ますます思うようになりました。

やりたいことはやる。会いたい人には会う。行きたい場所へ行く。

 

そのために再雇用を断った。

もし人生をやり直せるとしても、私はたぶん同じ選択をすると思います。

 

エンディング

 

今日は、再雇用を断って8年。

私が経験した5つの現実をお話ししました。

 

不安はあります。お金の心配もあります。

健康の問題もあります。孤独な日もあります。

 

でも、それ以上に手に入れたものがあります。

自分で時間を決める人生。

自分で人付き合いを選ぶ人生。

自分のペースで生きる人生です。

 

再雇用が正しい。再雇用を断るのが正しい。

そんな話ではありません。

 

正解は人それぞれです。

ただ一つ言えるのは、誰かの正解ではなく、

自分で選んだ人生は後悔が少ない。

私はそう思っています。

 

68歳になった今も、その気持ちは変わっていません。

最後までありがとうございました。

同窓会に行きたくない人の本音

同窓会に行きたくない人の本音

〜本当にしんどいのは、“比較してしまう自分”でした〜

 

🎬INTRO

突然ですけど……

同窓会の案内って、
なんとも言えない気持ちになりませんか。

 

LINEに、「久しぶり!集まろう!」って通知が来る。

あるいは、ポストに届く一枚のハガキ。

 

その瞬間、

「懐かしい!絶対行く!」ってテンション上がる人もいれば、

「うわ……どうしよう」って、少し心が重くなる人もいる。

 

今日は、そんな“後者の人”に向けて話したいと思います。

 

同窓会に行きたくない人の、本音の話です。

でも——誤解しないでほしいんです。

別に、同級生が嫌いなわけじゃない。

 

本当にしんどいのは、久しぶりの再会の中で、“比較してしまう自分”

に出会ってしまうことなんです。

 

① 同窓会を楽しめる人と、しんどくなる人(1:00〜2:40)

同窓会って、心から楽しめる人もいます。

「あの頃に戻ったみたい!」
「変わってないな〜!」
「また集まろう!」

あの空気を、自然に楽しめる人。

たぶん、そういう人って、

昔の自分も、今の自分も、
ちゃんと受け入れられてる人なんだと思うんです。

 

でも——しんどくなる人もいる。

学校時代、少し居場所がなかった人。

当時の自分を、あまり好きじゃなかった人。

あるいは、今の自分に、どこか自信が持てない人。

 

そういう人にとって、同窓会って、

“再会”というより、少しだけ“審査”みたいに感じることがある。

誰も責めてない。なのに、なぜか緊張する。

 

「自分はどう見られてるんだろう」

って、勝手に心が構えてしまうんですよね。

 

② 私の本音

ここで、正直な話をすると……

私も、「ぜひ行きたい!」
とはあまり思えないタイプです(笑)

 

懐かしい気持ちはあるんです。

あの頃を、嫌いなわけじゃない。

 

でも、人生の後半戦に入った今、

わざわざ昔の人間関係の中へ戻って、
気を遣って、笑って、近況報告して……

それが少し、疲れるんです。

 

たぶん、
同窓会で本当にしんどいのって、他人じゃない。

「あいつ成功したな」
「余裕ありそうだな」
「自由で楽しそうだな」

そんなふうに、勝手に比較してしまう自分なんですよね。

 

「あいつ老けたな」って思った次の瞬間、

「いや、自分も相当老けてるんだろうな」

って、急に現実を突きつけられたりする(笑)

 

誰かに責められたわけじゃない。

でも、勝手に比べて、
勝手に疲れてしまう。

これ、
結構しんどいんです。

 

③ 同窓会は人生の通信簿?

同窓会って、どこか
“人生の通信簿”みたいな空気があります。

 

「今何してるの?」
「どこ住んでるの?」
「子供は?」
「定年した?」
「年金どう?」

 

別に悪気はない。

でも、会話の端々に、

“今どんな人生を生きているか”が滲み出る。

そして、自分も無意識に、人の人生を見てしまう。

 

実は、還暦の同窓会の時に、
頼まれて演奏したことがあるんです。

幹事やってた奴が、私のバンド活動を知ってて。

「せっかくだから、なんかやってくれよ!」って(笑)

 

で、頼まれたから、演奏をやったんです。

そしたら……

すごく喜んでくれる人もいた。

「60過ぎてバンドっていいな!」って。

 

でもその一方で、

たぶん、ちょっと迷惑そうな顔してる人もいたんですよ(笑)

もちろん、口には出しません。

でも、なんとなく分かるんです。

「ああ……いい歳して、
まだ”青春ごっこ””みたいなことやってるのか・・・」みたいな空気。

 

あれ、地味に堪えるんですよね(笑)

別に、目立ちたくてやったわけじゃない。

頼まれたから、場を盛り上げようと思ってやっただけ。

 

でも、同窓会って、
同じものを見ても、「かっこいい」と思う人もいれば、

「まだそんなことやってるの?」って思う人もいる。

 

結局、人って、
それぞれ自分の価値観で他人を見るんですよね。

だから難しいんです。同窓会って。

 

④ でも誘ってくる奴が、だいたい気のいい奴なんです

ただ、ここで本当に厄介なのが……

誘ってくれるのが、
だいたい本当に気のいい奴らなんですよ(笑)。

そう、あの面倒な幹事を引き受けてくれる連中。

 

昔の名簿なんか、もう役に立たない。

だから、SNSを使って、一人ひとり探して。

「久しぶり!元気か?」って連絡して。

返事が来なかったら、また別ルート探して。

招待ハガキを作って、郵送して。

二次会の居酒屋に頭下げて人数調整して、
前日に「やっぱ行けない」って連絡が来て、また席順考え直して(笑)

それも無償で…。

 

いや……

もう、誰がこんなことできるんだろうって思います(笑)

本当に頭が下がる。

だから、「行きません」って断る時に、少し胸が痛むんです。

 

実は今も、来年の古希の同窓会で、

「またなんか演奏してくれよ!」って頼まれてまして(笑)

 

ありがたいんですよ。本当に。

この歳になって、期待してもらえるなんて、
幸せなことだと思う。

 

でも正直……「うわ……どうしようかな……」

って、ちょっと困ってる自分もいる(笑)

嫌いじゃないんです。

むしろ、声をかけてくれるのは嬉しい。

 

でも、昔の人間関係の中へ戻ると、

どこか、“昔の自分”まで引っ張り出される感じがして、
少し疲れてしまう。

これ、分かる人多いんじゃないでしょうか。

 

⑤ SNSの「楽しかった!」って本音?

同窓会のあとって、SNSに写真が上がりますよね。

みんな笑顔で、

「最高だった!」
「青春は永遠!」
「また絶対やろう!」

もちろん、本当に楽しかった人もいると思う。

 

でも——正直、

「楽しかったって言わなきゃいけない空気」も、
少しある気がするんです。

 

大人だから、場に気を遣う。

幹事にも気を遣う。

そして、“楽しそうな自分”も演出する。

 

でもそのあと、家に帰って、ひとりでお茶を飲みながら、

「……やっぱり家が一番落ち着くな」

って思ってる人も、案外いる気がします(笑)

 

⑥ 会った後に残るものって何だろう

同窓会のあとって、妙な余韻が残ります。

懐かしさ。

少しの寂しさ。

時間の流れ。

 

そして、

「あの頃には戻れないんだな」という感覚。

 

でも最近、思うんです。

青春って、戻る場所じゃない。

遠くで、ぼんやり光ってる景色みたいなもの。

振返らない限り、見えてこない景色。

 

だから無理に、あの頃へ戻ろうとしなくていい。

本当に大切なのは、

“今の自分が、今の毎日を心地よく生きられているか”…なんですよね。

 

⑦ 「行かない」は逃げじゃない

若い頃って、「付き合い悪いな」って思われるのが怖かった。

でも、歳を重ねると、少しずつ分かってきます。

 

人間関係って、“量”じゃなく、“心の消耗度”なんだって。

行きたくない時に、無理して行かない。

疲れる場所から、少し距離を置く。

それは逃げじゃない。

“自分を守る感覚”なんですよね。

 

大人の特権って、付き合う人間関係を、
自分で選べることなのかもしれません。

 

🎬ENDING

もちろん、
同窓会そのものを否定したいわけじゃありません。

楽しい人は、ぜひ楽しめばいい。

実際、一生懸命動いてくれてる幹事には、感謝しかありません。

 

でも——もし今、

「なんとなく気が重いな」
「行きたくないな」

そう感じているなら、無理に自分を責めなくてもいい。

 

たぶん本当に疲れているのは、

人付き合いじゃなく、“人と比べ続ける人生”なんだと思います。

 

若い頃は、「人からどう見られるか」で生きていました。

でも歳を重ねると、

“自分がどう感じるか”その方が、ずっと大切になってくる。

 

同窓会に行くか、行かないか。

その正解じゃなく、自分の心を、ちゃんと無視しないこと。

それが、人生後半では、
案外いちばん大事なのかもしれません。

 

もし、「分かるなぁ」って思った方がいたら、コメント欄で、
あなたの本音も聞かせてください。

それでは、また。

もはや趣味じゃない。68歳・無職オヤジにとってバンドは『立派な生存戦略』だ。

 

定年後、肩書きがなくなったあと——

「自分は何者なんだろう」そう思ったこと、ありませんか。

 

会社員でもない。役職もない。名刺もない。

68歳。無職。

社会的には、まあ……立派に"何者でもない側"です。

 

でも、そんな私にも、

今日をちゃんと生きる理由があります。

 

バンドです。

今日は、「趣味」だと思っていたものが、

いつの間にか"生きる理由"に変わっていた話をします。

 

もし今、定年後の時間や、

これからの自分に少し不安があるなら——

たぶん、あなたの話でもあります。

 

🎬 Part 1「肩書きを失った日、自分は何者か」

60歳のとき、高校の同窓会がありました。

還暦ですから、それなりに皆、いい歳になってるわけです。

 

久しぶりの再会。懐かしい顔。

最初は本当に楽しかった。

 

……ところが途中から、空気が変わるんですね。

再雇用。再就職。起業。役員。

 

気がつけば、「今、何してる?」「どこで働いてる?」

名刺交換会です。

 

私は——無職。

名刺もない。

 

なんでしょうね。

別に悪いことしてるわけじゃないのに、

少しだけ、そこに居づらかった。

 

輪に入れなかったというより、「入るためのカードがない」

そんな感じでした。

 

正直、ちょっと堪えました。

帰り道、ひとりで歩きながら思ったんです。

 

「ああ……俺、肩書きなくなったんだな」

でも、そのあとです。

 

ふと思った。

「……いや、待てよ。俺にはバンドがある。」

人から見れば、ただの趣味かもしれない。

でも、自分の中では違った。

 

ギターを持てば、私は私に戻れる。

会社名も、役職も、年収も関係ない。

音を出した瞬間、"自分が消えてない"とわかる。

あの帰り道、少し救われました。

 

若いころ、趣味は暇つぶしでした。

でも、この歳になると違う。

 

写真でも、釣りでも、

絵でも、山でもいい。

それがあることで、「自分でいられる」もの。

それはもう、趣味なんて軽い言葉では

片づかないんです。

🎬 Part 2「半年やめて、わかったこと」

実は65歳のとき、私は一度、

半年ほど音楽をやめました。

 

理由は……ひと言では難しいですね。

少し疲れたのか。人間関係か。気力か。

 

たぶん、全部少しずつです。

「ちょっと離れてみるか」その程度でした。

 

でも——半年で、はっきりわかりました。

 

何かが、明らかに減った。

笑う回数。外に出る理由。胸が少し高鳴る感じ。

何もなくても、日は過ぎます。

 

でも、"ただ過ぎる"んです。

昼までダラダラして、なんとなくスマホ見て、

気づけば夕方。

 

「あれ……今日、何してたっけ」

あの感覚、静かですが、じわじわ来ます。

 

ところが、バンドに戻る日が決まった途端——

弦を替えて、指を慣らして、何着ていくか考えてる。

 

前の日から、少し楽しい。

ああ、まだ戻れるんだな、と。

 

そのとき確信しました。

バンドは趣味じゃない。

これがないと、自分が少し薄くなる。

🎬 Part 3「生きがいがあると、人は勝手に動き出す」

よく、健康のために運動しようとか、

規則正しくとか言います。

 

もちろん、大事です。

でも、68年生きて思うのは——

人間、心が動かないと、体は続かない。

 

義務は、しんどい。

でも、好きなことは違う。

スタジオの日は、少し早く起きる。

面倒だった髭も剃る。

服も考える。

 

「今日は調子どうかな」と思う。

つまり、勝手に動く。

これ、大きいです。

 

誰かに言われた健康法より、「やりたいから動く」のほうが、

ずっと自然で、ずっと強い。

 

そして、生きがいがある人は、未来を考える。

次の練習。次のライブ。次はあの曲。

未来に予定がある。

 

これ、本当に大事です。

歳を重ねるほど、「先に楽しみがある」って、

薬みたいなものです。

🎬 Part 4「仲間と、孤独の話」

リタイアすると、想像以上に静かです。

 

会社なら、行けば誰かいた。

でも、辞めたら違う。

自分から動かなければ、驚くほど、人と話さない。

 

一日、誰ともしゃべらない日。

これ、最初は気楽です。

でも、続くと少しずつ、心が乾く。

 

バンドは、そこを救ってくれました。

「来週どうします?」

その一本の連絡で、外に出る理由ができる。

 

しかも、ただ雑談するだけじゃない。

音を合わせるという目的がある。

これがいい。

 

話ベタでもいい。

少し不器用でもいい。

「あそこ、もう少しタメます?」

それだけで通じる。

 

今の仲間も、経歴バラバラです。

でも、肩書きなんて本当に関係ない。

音が合うと、人も少し近づく。

不思議ですが、本当です。

🎬 Part 5「ライブという、自分で選んだ締め切り」

リタイア生活の落とし穴。

 

それは——「今日じゃなくてもいい」

が、永遠に続くこと。

 

明日でいい。また今度でいい。

これ、少しずつ人を鈍らせます。

 

でも、ライブが入ると違う。

練習する。

整える。

準備する。

 

つまり——ライブとは、自分で選んだ締め切り。

誰かにやらされるんじゃない。

自分で決めたから、苦じゃない。

むしろ、ちょっと嬉しい。

 

本番前は、いまだに緊張します。

でも、終わったあとのあの達成感。

「ああ、今日も生きたな」と思える。

 

68歳でも、ちゃんとあります。

🎬 ENDING

現役時代は、何でも成果や数字で考えていました。

得か損か。

評価されるか。

 

でも、今は違います。

音楽は、正直赤字です。

機材代、スタジオ代……

計算すると、ちょっと怖い。

 

でも、一度も「無駄だった」とは思わない。

なぜか。

好きだから。

 

たぶん、人生の後半で

ようやく気づくことがあります。

 

「意味があるからやる」だけじゃなく、「好きだからやる」

それだけで、人は十分生きられる。

 

バンドがあるから、私は今日も、自分でいられます。

無職でもいい。

肩書きがなくてもいい。

生きる理由がある。

それだけで、案外、

人はちゃんと前を向ける。

 

もし今、昔やっていたこと、

やめたままの何かがあるなら——

もう一度、触ってみてください。

 

ギターでも、絵でも、釣りでも、何でもいい。

それが、あなたを

もう一度"あなた"に戻してくれるかもしれません。

 

68歳、無職の私が言います。

遅いなんてことは、たぶんありません。

 

これからの方も——一緒に、

人生まだまだ面白くしましょう。

では、また。

消えた隠れ家と、ある夜の教訓

 

■失われた聖域

馴染みの店がある。

それは、日常という戦場から逃げ込める「聖域」のような場所でした。

 

気の置けない友とカウンターに並び、大声で騒ぐ客もいない静かな空間で、

店主夫婦の落ち着いた所作を眺めながら酒と料理を味わう。

そんな至福の2年が、店主夫妻の引退とともに幕を閉じました。

 

そこから、私と友人の「第2の聖域探し」という、長く険しい旅が始まったのです。

 

■期待という名の罠

SNSで見つけたその店は、予感に満ちていました。

予約電話越しの店長の明るい声。

初めて訪れた夜の、隅々まで行き届いた清潔感。

 

私たちはカウンターの「端」に陣取り、自分たちの世界に浸ることができました。

「ようやく見つけたかもしれない」

満足感を感じつつ2時間ほどで次回の予約を入れ、その日は店を後にしました。

 

■違和感の正体

そして、2度目の訪問。 開店直後の誰もいない店内に、一番乗りで入りました。

当然、前回同様あの落ち着く「端の席」へ導かれるものと思っていました。

 

しかし、店主が指差したのは、カウンターのど真ん中。どうも、落ち着かない。

 

「空いているのに、なぜ?」

小さな違和感が胸をかすめましたが、自分に言い聞かせました。

「まあ、いいか」と。

 

■奪われた静寂

その違和感は、すぐに確信へと変わりました。

 

 後から入ってきた常連らしき男性二人組。

店主は、私たちが座りたかった「あの端の席」へ、

まるで家族を招くような満面の笑みで彼らを案内したのです。

 

そこからは、静寂の崩壊でした。

彼らの放つ大声は、狭い店内の壁に反響し、

私たちの会話を無残に塗りつぶしていきます。

 

 下世話な笑い話、プライベートな暴露。

 

何より絶望したのは、店主の姿でした。

彼は私たちの存在など視界に入っていないかのように、

その輪に加わり、一緒になって声を張り上げていた。

 

私たちのグラスはまだ満たされていましたが、心は一瞬で冷めていきました。

 

■決別

キープしたボトルを置き去りにしたまま、私たちは店を出ました。

あのお酒には申し訳ないけれど、もう二度と、あの扉を開けることはないでしょう。

 

「良いお店」とは何か。 それは料理の味でも、内装の豪華さでも、コスパでもない。

「その空間にいる、誰を一番大切にしているか」

その一点に集約されるのだと痛感しました。

 

あの夜、店主が浮かべた最高の笑顔は、私たちに向けられたものではなかった。

たったそれだけのことが、すべてでした。

 

皆さんは、期待していたお店で「もう二度と来ない」と決めた瞬間、ありますか?

古希前、突然立てなくなった朝。“まだ大丈夫”が消えた日

▍ 突然のめまいが・・・

2週間前の朝でした。

朝ごはんを食べて、
いつものように歯を磨いていた、その途中――

突然、立っていられなくなりました。

 

目の前が激しく揺れる。
猛烈なめまい。吐き気。

 

壁に手をついても無理でした。

その場に崩れ、床を這い、
階段の手すりにしがみつくようにして、2階の自分の部屋へ戻りました。

 

脳なのか。心臓なのか。
このまま、自分はどうなるのか。

何ひとつ分からない。

 

ただ、沈んでいくような不快感と、
説明できない恐怖だけがありました。

 

…今日は、あの朝の話をします。

 

▍第1章:「まだ大丈夫」が崩れた日

妻はパートで不在。
家には、私ひとり。

 

病院へ行かなければ――
そう思っても、とても動けない。

 

横になっても、めまいはどんどんひどくなる。

吐き気も襲ってくる。

 

何とか妻に電話をしました。

でも、うまく話せない。

「急にひどいめまいが…動けない…」

それだけ伝えるのが精一杯でした。

 

異変を察して、すぐ動いてくれた妻。

そして、連絡を受けて駆けつけてくれた息子。

 

そのおかげで、私は病院へ向かうことができました。

 

着くとすぐにCT検査――

正直、脳出血も頭をよぎりました。

 

幸い結果は、脳に異常なし。

診断は、「前庭神経炎」あるいは「良性発作性頭位めまい」の可能性とのこと。

ひとまず、命に関わる病気ではありませんでした。

 

…でも。ほんの少し前まで、いつもと変わらない普通の朝だったのに――

突然、立つことすらできなくなる。

その現実だけで、十分すぎるほど怖かった。

 

数時間後、ようやく症状は落ち着き、
入院はせず、自宅療養。1週間後に再診。

 

めまい薬を飲みながら、少しずつ、
本当に少しずつ、元に戻っていきました。

 

Facebookにこのことを書いたところ、思いのほか多くの方が

同じ病を経験していることを知りました。

 

今は、ほぼ普通に生活できています。

でも――あの日を境に、“普通”の見え方が変わりました。

 

▍第2章:「自分だけは大丈夫」という錯覚

少し前に、元の会社の後輩が亡くなりました。

63歳。私より5歳下でした。

突然の入院から、わずか2か月。

 

ショックでした。

同年代の訃報を聞くたび、「気をつけないとな」とは思うんです。

 

でも――心のどこかで、“いや、自分はまだ大丈夫”そう思っていた。

根拠なんて、何もないのに。

 

思えば私は、54歳で進行した前立腺がんも経験しています。

あの時、人生は有限なんだと、嫌というほど思い知ったはずでした。

 

なのに――

時間が経つと、人はまた忘れる。

いや、忘れたいのかもしれません。

 

でも、あの朝。

床を這いながら、はっきり分かりました。

 

“自分だけは大丈夫”なんて、ただの思い込みだった。

例外なんて、ないんだと。

 

その現実を、私は体で理解しました。

 

▍ 第3章:横になりながら考えたこと

もし、これがもっと大きな病気だったら――

もし、このまま誰にも気づかれなかったら――

横になりながら、いろんなことを考えました。

 

やり残していること。
先延ばしにしていること。
会いたい人。行きたい場所。

 

そして――もっと現実的なことにも気づきました。

借地契約書の内容。
医療費控除のやり方。
パソコンやスマホのパスワード。

自分しか詳細を知らないことが・・・色々ある。

 

元気な時は、そんなこと、
本気で考えもしませんでした。

いや、少し頭をよぎっても、

「また今度でいい」
「そのうちやればいい」

そうやって、後回しにしていた。

 

でもそれは――

“まだ先がある”と思い込んでいたからです。

「自分のことは自分が一番わかっている」

そんな小さな慢心が、どれほど無責任だったか。

 

病気とは別の意味で、冷や汗が出ました。

そして何より―

あの朝、強く思ったんです。

 

自分は、ひとりで生きてきたつもりでも――

本当は、たくさんの人とのつながりの中で、
ここまで生きてきたんだな…と。

 

元気な時って、忘れがちなんですよね。

「まだ大丈夫。自分は一人でも何とかなる。」

…あろうことか調子に乗って、

「一人の方が気楽でいい」なんて思ったりもする。

 

でも――本当に心細い時、
人の支えの大きさを思い知る。

 

そして、思いました。

自分はこれまで――

支えてくれた人たちを、ちゃんと大切にできていただろうか。

感謝を、言葉にしてきただろうか。

 

「そのうち」
「落ち着いたら」
「いつか」

 

でも――その“いつか”は、
当たり前に来るとは限らない。

 

古希が近づいた今、ようやく少し分かった気がします。

時間は、まだあるかもしれない。

でも――無限じゃない。

 

▍第4章:だから、これからどう生きるか

だからといって、
必要以上に怖がりたいわけじゃありません。

諦めたいわけでもない。

むしろ――逆です。

 

残り時間を、もう少し意識して生きたい。

先延ばしにしていたことを、少しずつ始める。

 

体のサインを、“まだ大丈夫”で片づけない。

感謝は、思っているだけじゃなく、言葉にする。

 

そして――「いつかやろう」を、少し減らす。

・会いたい人には、会えるうちに会っておく。

・伝えたいことは、言えるうちに伝えておく。

・今日できることなら、小さなことでも、今日のうちにやってみる。

・大げさなことでなくていい。ただ――今日を、少し雑に扱わない。

 

最近、ずっと続くものなんてないんだな…と、
以前より自然に思うようになりました。

だからこそ――今日がある。

 

今日、こうして動けること。

話せること。誰かとつながっていられること。

それ自体、当たり前じゃない。

▍エンディング

あの日、突然立てなくなった朝。

正直、怖かったです。

 

年齢も、残り時間も、
嫌でも意識しました。

 

でも――あの日があったからこそ、
気づけたこともありました。

 

人生は、まだ終わっていない。

でも――思っているほど、先送りできるほど、無限でもない。

 

倒れなければ、気づかなかったことがありました。

考えなかったことがありました。

 

だから、あの朝は怖い出来事だったけれど――

人生を少し見つめ直すための、
“もらった時間”だったのかもしれません。

 

人生は、思っているより急に揺れる。

だからこそ――今日という時間を、もう少し丁寧に生きたい。

 

今日という一日も、当たり前じゃないのかもしれません。

 

だから――どうか、大切に。

今回も最後まで見てくださって、ありがとうございました。

 

情報に疲れた60代へ。68歳が辿り着いた「ま、なんとかなるか」

― 情報の濁流にのみ込まれないために ―

① 最初に

夜中3時。
ふと、目が覚める。

年金、物価、日本の未来――
考えても今すぐ答えなんか出ないことばかり、
頭の中をぐるぐる回る。

……なのに、考えるのをやめられない。

 

60を過ぎてからでしょうか。

若い頃みたいに、“明日の仕事”じゃなく、

“1年先の不安”で眠れない夜が増えました。

 

でも、ある時気づいたんです。

 

私を苦しめていたのは、
老後そのものより――
“浴びすぎた情報”だったのかもしれない。

 

たぶん、
私だけじゃないですよね。

② 情報に飲まれていた頃

定年退職して、
ぽっかり時間ができた頃。

私は、やたら情報を見るようになりました。

テレビをつける。
スマホを見る。
YouTubeを見る。
またニュースを見る。

 

「老後資金問題」
「物価上昇」
「将来不安」
「○○ショック」

 

……次から次へと、
不安の材料が流れてくる。

そのたびに、

「え、大丈夫か?」
「俺、遅れてる?」
「何か準備しないとまずい?」

 

気づけば、
不安になるために
情報を集めてる日もありました。

 

今思えば――

完全に、情報に酔ってたんですよね。

 

お酒と同じで、
酔ってる時って、自分じゃ気づかない。

むしろ“ちゃんと考えてる自分”
くらいに思ってる。

 

でも実際は、

情報を見てるようで、
情報に振り回されてただけでした。

③ 気づいたこと①

・ニュースには“温度”がある

そのうち、気づいたんです。

同じ出来事なのに、
言う人によって、ずいぶん違う。

ある番組は
「深刻な事態だ」と言う。

チャンネルを変えると、
「そこまで悲観しなくていい」と言う。

 

……どっちなんだ、と思うでしょう。

でも、たぶん――

どっちも正しくて、
どっちも正しくない。

 

事実そのものより、

そこに
誰が、どんな見方で、
どんな温度で語るかが混ざる。

右寄りの温度。
左寄りの温度。

 

“中立です”
みたいな顔してても、

案外、しっかり味ついてたりする。

……まあ、
少し穿ちすぎかもしれませんが。

 

でも、ある日思ったんです。

**「ああ、これって料理と同じだな」**って。

同じ素材でも、
作る人で味が変わる。

辛くもなる。
甘くもなる。

だったら、
飲み込む前に少しだけ考えてもいい。

 

「これ、誰が、何のために作ったんだろう?」

そう思うだけで、情報に
丸のみされにくくなりました。

④ 気づいたこと②

SNSは“不安の拡声器”

SNSも便利です。

便利なんですが……

怒ってる人の声って、強いんですよね。

不安。怒り。極端な意見。

 

どうしても、目に入る。

気づけば、世の中全部が
ピリピリしてるように見えてくる。

 

でも――

スマホを置いて、妻に頼まれたメモを持って
近所のスーパーに行くと、

白菜を選んでる人がいて、
子どもがアイスをねだってて、

レジで「今日は暑いですね」なんて話してる。

 

……その時、思ったんです。

 

世界、思ったほど壊れてなかった。

なんだか、
ちょっと笑いました。

 

TV画面の中では大騒ぎでも、

目の前には、
ちゃんと今日の暮らしがあった。

⑤ 散歩で戻った“自分の人生”

コロナが落ち着いてきた頃、

ある日、情報を見るのをやめて、ふらっと散歩に出ました。

 

いつもの道。
犬を散歩する人。
咲きかけの桜。
少し冷たい風。

 

その時、
ふと思ったんです。

「……ああ、俺、画面の中で生きてたな」って。

 

世界の問題は、たしかに大事です。

でも――

今日の自分の人生は、

まず“今日をどう過ごすか”
なんですよね。

 

お茶を飲む。
少し歩く。
好きな音楽を聴く。

 

それだけで、

心が妙に静かになる日がある。

⑥ 68歳が辿り着いた“いい塩梅”

それから私は、情報との距離を
少し変えました。

全部は信じない。
でも、全部は否定しない。

 

「そういう見方もあるんだな」

……そのくらいで、一回置いてみる。

 

昔より、白か黒か、
すぐ答えを出したがらなくなりました。

 

たぶん――

正しさだけより、“機嫌よく生きること”の方が
大事な日もある。

 

そう気づいたからです。

少なくとも、今の私はそうです。

⑦ 最後に

お金も大事。
健康も大事。
世の中の流れも、
無関係じゃない。

 

でも――

不安ばかり集めて、今日を台無しにするのは、

なんだか、もったいない。

 

だったら。

ニュースを少し閉じて、
散歩して、
空を見て、
お茶でも飲んで。

 

「ま、なんとかなるか」

 

……そのくらいで、
ちょうどいい日もある。

世の中は、
たぶんこれからもずっと少し騒がしい。

 

でも――

心まで、いちいち騒がせなくていい。

その中で、
自分の機嫌を取りながら生きる。

 

68歳。

そのくらいで笑える日が、
人生には案外、いちばん強い。

 

肩の力、少し抜いて。

お互い、気楽にいきましょう。

では、また!